「ベル デアボリカ」番外編前編配信中です!

twitterとミクシでは既に書き込んだのですが、完結を迎えたデアボリカですが、番外編が配信されております!
先回はちょっと息抜き的な短い番外編でしたが、今回はヴァルカナルがデボンの大公のところに滞在していた時のお話。
このデボンでの話は前にも番外編で「解錠」という話がありましたが、これは自分とは違う分野の大魔法使いの掛けた封印を解くまでの話でした。接待によこされたのが賢い女性でまだ救いがありましたが、今回は不遜な大公、おべっか使いの部下、とどめに自信過剰だろの大公の夫人ときた日にゃヴァルちゃんのイライラもマックスです。(という、わわこの先このウザイ奥方はギャフン!と言わされるの、どうなの、、というところで次までお預けです。大公も相当うざったい男ですが、さすがに似たもの夫婦なのか奥方も相当なようです。

自分とは分野が違う大魔法使いというのはデボンの大公のところにずっと滞在してたわけですが、この人の専門は天に関することだったらしい。好奇心から研究成果を読むためにヴァルちゃんはずっと苦労しながら読み解きを進めてるわけですが、研究そのものは素晴らしかったとしても相当ずぼらで整理能力がなかったらしく、その辺のメモ書きも研究も全部一緒くた。
ヴァルちゃんの疲労は読み解きそのものの苦労じゃなくてこの人の整理能力のなさからのようで、ちょっと面白いです。
どこにもいますよねー、天才的にスゴイ研究するのに研究室は書類がぐちゃぐちゃ、みたいな博士。
あれの魔法使い版と思えば。
それの死後そこで自分の好奇心を満たすものを探してずっとこもってたらイライラもしますって。
そんなとこにあのうざい奥方が来ちゃったら、、、あああ、、、。
先回は賢いじいさんとその孫娘という救いの存在があったから良かったけど、、今回どうなることやら~~。

ともかく皆様、せっかくの番外編、早く読みに行ってみてくださいね!
H&F倶楽部

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久々の美術館ほか・・・

GW最終日、わざわざ池袋まで群馬くんだりから対談だけを聴きに行くのだけでは交通費かけるし、まあそれでもいいんだけど若干勿体ないので、とりあえず何かくっつけようと思って動くのが嫌いながら3つ目的を足しました。

午前中*上野の国立西洋美術館に行って企画展
ユベール・ロベール−時間の庭
http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/current.html
併設・ピラネージ『牢獄』展は時間の都合で見れず;
http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/piranesi2012.html

メインの方でゆっくり見過ぎて時間が;もうちょっと急ぎ足で見れば良かったかなー。
美術館に入るまでは上野はGW最終日とはいえ動物園に向かう親子連れとかいっぱいでなんだかがちゃがちゃしてたのに、美術館に入ると中はもう静かで全然別の時間が流れるのです。
静かにじっと見入る人達の間で私もしばし鑑賞に浸りました。マンガ関係じゃない絵の鑑賞久々!と自分で思っていたけど、なんせ素材がローマなので「テルマエ・ロマエ」や「チェーザレ」を思い出したりして;
漫画家さん達の画力の凄い人達はこれに近い絵を描かれてるよなあ…と思ったり。やっぱり漫画家の方って画家であり小説家であり監督であるようなもんだから相当な才能だよな、と結局マンガのことを考えていました;

昼前*吉祥寺に移動*江口寿史原画展
http://www.libestgallery.jp/eguchi/tone.html これもマイミクさんの日記で知った情報(Aさん感謝です!行ってきました〜)
なんせ方向音痴の上土地勘もないので下調べしたら駅から近いのでなんとかなるだろうと。しかし移動中は小走りw2時までには池袋なのでさほどゆっくりは出来なかったのですが、原画展というかギャラリーなので販売なのでした。
点数はあまりなかったのですが、会場で絵を眺めたらそこは80年代でしたよ。
うわーーーーと思いました。流行の先端を行っていたものってそこが過ぎちゃうと途端にアカ抜けなくダサく見えるものなのに、江口さんの絵にはそういう気恥ずかしさはなかった。
やっぱ飛びぬけて上手い、ハイセンスなので頑張って時代の流行を追ってたというのじゃないからかな。
流行を追うどころか、江口さんが漫画界における一つのムーブメントを作った人だった。
そして今もまったく色褪せない魅力そのまま。惜しむらくはストーリー漫画を描かれなくなってることかな。
来訪者用にスケッチブックが2冊あって原画展にいらした他の漫画家さん達のイラストコメントもたくさん。1枚バリバリ使っての上條さんの絵は迫力だった。
サイバラさんが「商いは短く持ってコツコツあてる」と書かれていて吹いた。飯田耕一郎さんや吾妻さん、とり・みきさん…などなど豪華な面子の間に来場したちびっこ(先生のお知り合いのお子さんかなー)らが「せんちゃんへ」とおおきくイラスト描いてたり。この2冊は会場に行かなければ見れなかったわけでホントに貴重で面白かったー。

午後*昼を食べるのを諦めて池袋に移動 チョコを電車の中でつまむ。
対談会場の西武本店の書店リブロのコミック売り場で「坂道のアポロン」の原画が飾ってあるというのを小玉先生の呟きで読んでいたので、点数には期待してなかったけど行って眺めて来ました。
原画、すっごく綺麗でした。
7巻に付いていたポストカードブックの表紙のカラー絵もあって、色がともかくキレイ。やはりあのポストカードブックは原画の色味をかなり忠実に再現してた。
そこで買いそびれてた最終巻買って、ようやく対談会場へ〜。
着いたら15分くらい前でちょうど良い時間でした。
ネットで申し込みして受講票が送られてくるでもなかったので受付をけっこう心配してたんだけど、名前言っただけですぐ会場入れて貰えて全然OKだった。
会場では小長井さんのほとんど目の前でメモをせっせと取りながら真剣に聴いてたいい聴講者ですw

この日はあいにくの天候で、つくばでは竜巻の被害とかあったのに私自身は移動中雨に降られることもなく、電車の乗り継ぎなんかも比較的スムーズに動けてけっこう順調な1日でした。
(今回のGWはバス事故や遭難事故、最後にはこんな大きな竜巻の災害や雹など様々なことがありましたね;被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。)

連休の最終日なんで普段なら家の掃除したり、1週間の食材の買いだししたりするのですが、結局掃除は夫がやってくれてて、食材は土曜にあらかた買っておいたのだけど(掃除もしようかと言ったのだけど日曜にやるからいいと言われたんですな)、夫が少し買い足しも行ってて
さらに車を私の分も洗車してくれてました。。。。。
そんで夕食は土曜の内にカレーを仕込んでおいたのだけど、帰ったら温め直ししてくれて、生野菜サラダの準備が始まっていた。
完璧主婦ですな…、洗車は思いがけなかったのでさすがにびっくりしました。
休みの最後の日にこれだけ動くのは出不精の私には滅多にない休みの過ごし方ですが、色々スムーズに動けて充実出来ました。
色々下調べしていったのも良かったな~。方向音痴なんでその場でなんとかなるとか絶対にないんでw
準備していった上に迷いそうになったら構わず人にどんどん聴いちゃうので痛い目には案外遭わない私です。
おのぼりなのもですが、超ド級の方向音痴なので自分で考えるのは諦めてます。
(正直地図見ても全然ぴんとこないんですよねー、館内案内図とかー)

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「美内すずえと少女マンガを語ろう!」(小長井氏×美内すずえ対談)レポ後半

レポ前半から続きます。

■「ガラスの仮面」の魅力さらに

小長井「現在のTVドラマは面白くないし、安っぽい。存在感のある役者が少ない。イケメンはいっぱいいるが。少女漫画家はイケメンを描くのが上手いが脇を描くのが上手くないので美内さんはそこが強み。シチュエーションの上手さ、あとスポ根の要素」
美内「作家さんと話す中で小長井さんは性格を見抜く。美内さんは根性がありそうだからスポ根ものがいいんじゃない?と勧められて、別マの表3(*注*裏表紙の中のことを表3と言います、ちなみに表紙=表1、表紙中=表2、裏表紙中=表3、裏表紙=表4です)に予告を描いた時にはバレーボールを持った少女を描いた。
その間に集英社さんに父兄同伴で東京に招待されて舞台を見に行った。石坂浩二主演の。それで演劇マンガを描きたいと変えた。もうすでに予告打ったんだからダメかなと思ったけど小長井さんはいいよと言って下さった」
美内「小長井さんからこれを是非読みなさいと「岩窟王」を渡されて読んで面白かったのでそれで「燃えよ虹」を描いた。あとで聴いたら和田慎二さんにも同じ本だったらしい。(*注*和田先生はそれで「銀色の髪の亜里沙」を描かれたのだなーと思いましたw)他に聴くと、木原敏江さんにはちょっとデカダンっぽい貴族モノだったりして人に合わせて変えている。この差は何かと(笑)」

小長井「美内さんはガラかめの連載の前に70本読み切りを描いている。一回ずつの連載が面白いのはこの力。あと毎回の引きの強さ。物語の導入、イントロの上手さ。
言葉使い、会話を大事にしている、子供にも分かる分かりやすい表現力、どんな職業でも面白いなどなど、挙げればきりがないほど、人気の秘密はたくさんある。またこういう機会があればお話ししたい。
できれば完結を読むまで死ねないな(笑)」


■会場からの質問
Q・連載開始第一回の予告では50Pになっていたが、実際の連載開始一回目は39Pになっていて「手の不調により」とお詫びが載っていたのですが、その辺の事情はどうだったんでしょうか?
A・美内「そんなはずはない、きっちり50P描きました、何か誤解があるのでは?」
小長井「記憶にないなあ…」
*この質問については初出誌にあたらないとなんとも。美内先生はきっぱり「手の不調を理由に原稿を短くしたり落としたりとしたことはないです」とおっしゃっていました。

Q・35年以上連載を続けられていると黒電話が携帯になったりして苦労されていると思いますが、他に苦労されている点は?
A・連載が長くなるなと感じた時からともかく流行を取り込まないようにした。会話にも流行り言葉とか入れない、ミニが流行っても入れないなど。でも電話だけはどうしようもなかった。携帯を描くに至ってはバッシングも覚悟した(笑)昔は公衆電話もピンク電話で10円入れてかけるタイプだったが、次にはカードを入れるタイプになり、携帯も今ではスマホになってしまった。こういうのは場面で描かないわけにもいかず苦労している。

Q・ずっとすべての掲載を買って読んでいるが、今の連載で過去の連載と重複する部分が再度描かれている。お答えしづらいと思うがどのように考えていらっしゃるのか?
A・それは本当に申し訳ないと思っている。コミックス収録の際に大幅に連載時と変えていて、一冊まるごと描きおろし状態になっている巻もある。読者によってはコミックスしか読まない人もいるので、コミックスで読んだ時に大きな話の流れがとれるようにどうしても今の連載でも同じような部分を描かざるを得なくなった。その点では申し訳ないと思っている。

Q・和田慎二さんの「スケバン刑事」と場面がコラボしてる回があったのだが、あれはどのような企画で行われたのか?
A・和田先生とは同時期に連載を開始していて良きライバルでもあり良き友人でもあり、よく電話で話もしていた。「ガラスの仮面」の記念特集号の時に少しおおめにページを頂いて描くような時で、電話で話して少し悪乗りしようという話になってお互いに示し合わせて描いた。編集さんはタッチしていない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まだまだ質問の手は上がっていたし、お二人の話が面白かったのでともかくまだまだ話を聴きたいというムードいっぱいでしたが、時間が来ていたのでここで終わりになりました。
終わった後は、小長井氏の著書について会場で買った本以外でも持込みでも小長井氏、美内先生両方のサインが頂けるということで外ではすぐに長い行列が出来ていました。
私は翌日から普通に仕事で、なんせ長距離を帰路に着かねばというのがあったので、会場で会った友人にもし2冊お願いできそうだったらということで託して帰路に着きました。
後ろ髪は引かれました~~~。
またこの企画で話がもっと聴けたらどんなにいいでしょう~。
ともかくマンガ関係、特に編集の仕事してる人は必読書です、是非読んで下さい。
面白いし、ためになります。
本を読んでも感じましたが、小長井氏の温和なお人柄はお話しぶりにもよく出ていて、良い対談でした。
美内先生はともかく氏を立てるという感じでしたが、それでも随所随所に盛り上がる話を入れて話してくださって素晴らしかったです。なんとなくお声の調子が萩尾先生と共通してるところもあるなあと思ったり。
仲も良いと伺うので何か似てるところもあるのかも??
今回遠い中行ってホントに良かったです!
企画してくださった関係者の皆様に感謝です。
両先生、お疲れ様でした&お話有難うございました!!



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「美内すずえと少女マンガを語ろう!」(小長井氏×美内すずえ対談)レポ前半

昨日はtwitterで知った情報から早々と申し込んでおいた下記イベントに行ってきました。
「美内すずえと少女マンガを語ろう!」
http://cul.7cn.co.jp/programs/program_585960.html
上記より引用します
≫第1日曜 14:00~15:30
開催日 5/6
講師 白泉社 別マ,花とゆめ,LaLa元編集長 小長井信昌
ゲスト 漫画家 美内すずえ
備考 講座終了後、講師の著作本の販売とサイン会を行います。(約1時間の予定です)
講師の著書「わたしの少女マンガ史」をご持参の方にはサインいたします。講師の著作本には、小長井信昌と美内すずえ両名がサインいたします。
≪≪

白泉社の元社長であり、「花とゆめ」「LaLa」の元編集長である小長井信昌氏の著書わたしの少女マンガ史―別マから花ゆめ、LaLaへ
の内容を元に、小長井信昌氏と美内すずえ先生との対談という企画でした。

私は15分くらい前に会場に着いたのですが、ネットで申込みしたせいか着いて受講の確認をしたらすぐ中に入っていい状態になっていたので席も選び放題v小長井氏の右手前にあたる一番前の席に。ここはお二人の顔もよく見えて本当にいい席でした!
時間より早めに席に着いて資料等を用意される小長井氏、対して美内先生はまだお見えになってない様子。でも時間ちょうどにお着きになられました。
だもんで最初の小長井氏のご挨拶では「原稿はいつも遅れるが必ず間に合うというのを今回も如実に示した」とおっしゃってましたw
今回の対談では著書の中にも書かれている話も紹介されながら、美内先生との話が中心、やはり「ガラスの仮面」に関する話が主でした。
以下、主だった話をまとめます。録音等しておりませんので手元のメモのみが頼り、聞き取り違いや理解違いなどあるやもしれません。ご承知おきの上でお読みください。
あと、著書に書かれてる内容は細かく触れません、この本は素晴らしく面白いのでこの対談に興味のある向きは是非一冊お求めになってお読みになることをお薦めします!

■現在の「ガラスの仮面」
最新刊48巻が出てさらに「別冊花とゆめ4月号」でその続きが掲載されたところ。
小長井氏(以下敬称略)「50巻で終わるってことはないよね?」
美内先生(以下敬称略)「ないです」(きっぱり!)
小長井「日経新聞何でもランキング2011年12月3日掲載「最終回を読みたいマンガ」の第一位に「ガラスの仮面」二位の「名探偵コナン」の倍以上大きく引き離す票を獲得していた。
このランキングは少女マンガに限らず少年、青年マンガも含めた総合的なランキングだったのにも関わらず、断トツの一位。いかに支持層の幅が広く、愛されているかということを証明した結果である。」
美内「ありがとうございます。連載始めて35年超えているので、10歳くらいで読み始めた人はサイン会では子供連れでいらっしゃる。長いこと愛読してもらって感謝している。その内お孫さん連れて…(笑)」
小長井「自分の孫も読んでいる、幸い役得で白泉社から毎号本が送られてくる(笑)」
小長井「他にも『ダ・ヴィンチ』2010年の年代別の好きな少女マンガランキングでアラフォー世代の№1だった。
『ダ・ヴィンチ』(??年)では美内さんのインタビューが掲載されたが、その際今後の少女マンガについて聞かれた美内さんは、”少女マンガはこの先世界的に広がっていくだろう。市場が広がっていくのはこれからだ”とおっしゃっていてまさにそういう状況になっている。予言者のように先見性のある人なんです」

小長井「少女マンガの人気は戦後の女性の地位の向上と関わりがある。経済がよくなれば女性の小遣いも増える。戦前は女学校に行く人も限られていたし、田舎では本を手に取る人も少なかった」

■マンガ出版の仕組み
小長井「日本のマンガの特色は描き手から造り手に至るまでいろんなルートがあるということ。
・既成漫画家のアシスタント、弟子
・マンガの専門学校、マンガ学部
・同人誌・コミケ
昔だったらアシとか弟子とかしかなかったが、有名な例では「のらくろ」の田河水泡さんの弟子が「サザエさん」の長谷川町子だとか。
海外はもっとドライなシステム。読み手が漫画家になるという部分が日本のマンガの発展した一つの要素だろう。電子書籍は今後どうなるかは自分にはよく分からないが、若い人が出て面白いマンガを造って行ってほしい。

■美内さんのデビュー時代(新人を育てる)
美内「デビュー前子供の頃は貸本でよくマンガを読んでいた。水木しげるさんの「ゲゲゲの鬼太郎」の前身「墓場の鬼太郎」とかもあった」

*注*ここでしばらく小長井氏からマンガ史に関わる説明がありました*
「おもしろブック」(絵物語が中心)→「少年ジャンプ」
「少女ブック」→「りぼん」
月刊誌は男女合わせて何百万と売れていた。戦後の復興間もない時期にこれだけ売れたのはスゴイことだった。
それだけ要望があり、本を読む力があった。
しかし一方で学校では悪書追放の動きがあり、校庭でマンガが燃やされる焚書なども行われた。
美内「マンガを読むとバカになると言われた。私は持って行かなかったが持って行くと燃やされた。手塚先生の『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』まで。それは中身を読みもせず、イメージだけで悪いと決めつけていた」
小長井「マンガの存在が悪いと決めつける動きは戦中からあった。マンガに対する虐待は間欠泉のように何度も何度も出てくる」
*注*この辺の話は、先日の水野英子先生と萩尾先生の対談にも出てきましたが、当時の読み手にとっても描き手にとっても悪夢のような話だったのでしょう。でも現在もまた同じような虐待は常に出てきますね;*

小長井「別冊マーガレット」を任された頃、人気のある大御所は週刊誌に持って行かれていたのでなんとか新人を発掘する必要があった。そこでマンガスクールを開始して新人の育成を始めた。
これは少年誌も含めて別マが一番最初。開始直後ではないが鈴木光明先生が主力になってくれた。
(といっても名前をお借りしておいて応募作を主に読むのは自分だった、と裏話がw美内先生が入賞した第7回の頃は鈴木先生ではなくわたなべ先生だったそうです。)*注*同じ会場で話を聴かれていた笹生那美様より、この受取り方ではニュアンスが違うのではないかと言うコメントを頂いております。鈴木先生のところに応募作品は送られており審査はきちんとされていたということです。詳しくはコメント欄をお読みください!!私の「裏話」という書き方では鈴木先生が審査されてないかのように読めますがそういう意味ではなかったことをお詫び申し上げます。それについてもコメントのやりとりをお読み頂ければ幸いです。2012年5月11日追記)

このスクールで主眼としたのは一回入賞すれば終わりというのではなく、ずっとマンガを描き続けることが出来るかどうかということ。絵が上手いという天性のモノの他にプラスアルファが必要。まずは話が作れるということ。プロとしてやっていける人を育てるということ。
美内さんのデビュー作(「山の月とこだぬきと」)を読んだ時、話が面白いと思った、絵はふつう(笑)」
小長井「それで家まで行った。忠津陽子さん、成田美名子さんの時も飛んで行った。親を説得する、ともかく描いて送ってくれと頼む。美内さんはこの頃からともかく原稿が遅かった。納得するまで考えるから遅い」
*注*美内先生の原稿が遅い、という話は対談中に本当に何度も何度も出てきましたw多分毎回印刷所に持って行くまでやきもきされたんでしょうねー)*

美内「まず16Pで何か描いてということでプロットを書いて送る、OKが出たらネーム、それでOKが出たら描き始める、というのを真面目にやってたんですけど、そこに時間かかるんですね(笑)」
小長井「新人さんは16Pを嫌がるんですよ、入りきらないと。でも30Pあげると破たんする。まずは16Pでまとめることで鍛える。木原さんなんかもそうした。」
*注*ここで私が思い出していたのは少し前に某編集さんがtwitterで呟いて大騒ぎになっていた「読み切りって意味があるの?」という呟きです。私はその関連はもうメンドクサイと思って読むのも止めましたが、そういう編集さんに小長井氏の著書を読め!と言いたいw 
美内さんはガラかめの連載開始の前に読み切り70本描いてるそうです!!これだけ読み切りをまとめる力があったからこそ35年も不動の人気を誇る連載が続けられているのです。*

小長井「予告を打つようになると自然と締切が早くなる(予告用に考えるのが早くなるから)これは良い手だと思った」
「新人の人は原稿を会社に持ってくる、かつ丼奢ったりして食べながら話をする」
「河あきらが読み切りで百人一首の話を描いてる。(*注*当時の別マの表紙がスクリーンに資料で出ていました)
今描いてる人いますよね(*注*「ちはやふる」末次由紀)、もうこの頃にあった(笑)先を行ってる」

*この辺りで小長井氏が白泉社の社長になった時に美内先生が編集して漫画家さんからお祝いメッセージのイラストコメントを集めた本が出された時の話が出ました。画面には本の中から美内先生が描いた一頁が。
この本のタイトルにある「ムムム」というのは小長井氏が原稿を読む時の表情からだったそう。
むむむ、、、と困りながら迷いながら読まれるらしい。
小長井「むむむ、といえば、三原順さんの作品、これは本当に悩んだ。話は難しい、でも絵は可愛い。ええいやってしまえ、と連載にした。「はみだしっ子」はしかし人気作になった。
その後三原さんは今から30年前にして当時のスリーマイル島のことなどから既に原発問題を扱った作品を描かれていた。(*注*『Die Energie 5.2☆11.8』『X Day』詳細はこちらを参照のことhttp://togetter.com/li/113180
難しいマンガだが、今読んでも十分に足る作品、残念ながら三原さんは既に亡くなられているが本当に惜しい才能を失った」

*注*三原順さんに関係する話としては、会場に小長井氏が三原先生が片面に小長井氏の似顔絵を、いまいかおるさんが片面にイラストを描かれた団扇を持ってきてくださっていました。なんと会場にその団扇とマンガスクールの応募者へ贈られたというマンガ描き用のスケールが入った透明な下敷きと両方回覧させて下さったのでした!直に三原先生のイラスト入りグッズが拝めてホントに有難かったです!)*

小長井「美内さんはデビューして1年目、高3の時に既にカンヅメ旅館を体験した。大物。あれは初めての30Pで、のちの「ガラスの仮面」の原型になった「ナオは光の中で」という作品。演劇をやる少女の話。」
小長井「美内さんのお母さんはいつも年賀状を下さっていて、それには”いつも娘が原稿遅くなってすみません”と書かれていた(笑)」
*注*ここでしばしカンヅメ旅館の話。いわゆる修羅場の様子が目に浮かぶようでしたw*

美内「表参道の花のやかたビル(?)というところでカルチャーセンターみたいにマンガの描き方教室をやったんですよ。鈴木光明先生(『少女マンガ入門』の著者)が講師。酒井美羽さんとかここからデビューした。
小長井「白泉社が出来て新雑誌を起こした時もマンガスクールは一号から始めた。
昔は既に人気の出ている漫画家の争奪戦、有名になった漫画家をとってくるというのが主流だったが、徐々に少年誌「ジャンプ」なども新人をいかに育てるかという方向になって行った。

■「ガラスの仮面」が生まれた背景
小長井「編集者として新しい雑誌、新しいマンガをやってみたいと思った。新雑誌創刊は魅力」
美内「連載開始の打ち合わせを西荻窪の「こけし屋」(*注*著書では「ひさご」と店名が間違っているそうです、訂正がありました)さんで美味しい料理を食べながらやった。」
*注*この辺りの話は著書にも詳しく出ていますので是非読んでみてください!*
将棋の世界を描いた映画「王将」の坂田三吉の話にインスパイアされたとのこと。将棋ではなく最初はお琴でどうかと思ったが絵が動かないしマンガから音は出ないから難しいだろう、演劇ではどうかと言ったのは小長井さん。演劇ならば前に「ナオは光の中で」を描いているし行けるのでは、と膝をはた!と打つ感じだったとのこと。ヒット作が生まれる瞬間ってこういう感じなんですねーー!
美内「演劇についての取材は描くときの足かせになると思ってあえてやらなかった。演劇の入門書を一冊買って、まさに主人公と一緒に演劇を一から勉強するような気持ちで始めた。」

■「ガラスの仮面」の魅力
小長井「美内さんは多彩な脇役を描ける。少女漫画家はイケメンを描くのは上手いが脇役があまり描けない。その点、これだけ脇役を描ける人はほかにはいない。特にアンケートで地味な源造が人気アンケートの上位に入ったりする。」
美内「描いていると一人一人の人生が浮かんでくる。キャラを描けば描くほどその人がどうしてそういう思いを抱くようになったかなどエピソードまで描きたくなる。」
美内「1988年に玉三郎さん演出で舞台化、源造が出てくると客席に受けていた。他にも蜷川さんの舞台化などでも源造が出ると受ける。貧しい暮らしになっても蝶ネクタイしていたりしてシリアスなのにどこかコミカルにもなって真面目にやっても受ける。」
美内「TVドラマ化、アニメ化もされたし、紅天女だけ取り出して能にして頂いたり、蜷川さんが第一部第二部と舞台化もされた。映画化だけされていない。」
小長井「いろいろメディアミックスされているが一番面白いのはやはりマンガ。でも蜷川さんの舞台は面白かった」(*注*2008年第一部 2010年第二部 第三部の予定もあったが昨年の震災影響で・・・・)

・・・・・またしても長くなったので分けます・・・・・

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ipad話

今まで使っていたWi-Fiをそろそろ買い換えようということでうちの夫がTVチューナー付きのを買い足した。
さらにipadに完全防水のケースをいつの間にか買っていた。
それで何したいのかなーと思っていたら、私が台所にいる時にキッチンの壁に立てかけたりぶらさげたりして(ケースに紐がついていて壁掛けやら持ち歩き用になっている)TV見たりネットチェックできるように、だそうだ。
まあそこまで特に要らないんだけどなあ・・・と若干思ったりしてるのだが、ipad好きの夫は何か便利に使いたいらしい。
で、私は別に夫が新しいipadを買うのを全然止めていないのだけど、新しいのを自分が買ったらお下がりを私にというのがあるので、いや別に要らないんだけど、、、という状態を打開したいのだろう。
別に私は要らないけど買うのは止めないよ、と言ってるのに基本は節約人間なので気が引けるのだろうなw
しかしキッチンでネットが見れると、たとえば私はよく食材からレシピを探して作るのだけど、レシピサイトをチェックしてipadで見ながら料理出来たりはちょっといいかもしらん。
今まではとりあえず印刷したり適当に読んで覚えて適当に作っていたのだが。
ノーパソより簡易でスマホより画面が見やすいipadはホントにこういうのには便利だ。

さらには完全防水のケースのお蔭でお風呂場でも見れる。
これも私は別にお風呂でTV見なくてもと思っていたのだが、今夜WOWWOWでナルニアの3部作をやっていたのだけども、うちは今はWOWWOWには入っていないのだが、チューナーを新しく設定したipadだけならしばらくお試しで有料放送が無償で見れたのだった。そんでそれは録画は出来ないので途中まで観たところでお風呂に入らねばならなかったがそのまま持って行って続きを見れたのだった。こういう時確かに便利だ。
お蔭様でまだ見てなかった第三部を見れて良かった。ドラゴンにされたユーチスが面白かったv

BSのアンテナが古くなったから最近開設された新しいチャンネルが受信できないということで、今回新しく買いなおして付け直してくれたのだが、これはしかしアンテナのせいではなく我が家の立地条件で(簡単にいえば向かいの家に大きな林があったりして)今の位置だと受信できないのだというのが分かった;(しかしこれもipadなら若干状態は悪いながらも受信したのが見れた)
アンテナの位置を変えるためには天井裏を這わせてるコードをもう少し長いのに変えて引っ張らなくてはいけないらしいのでこれもGW後半でやると言っている。
でもこれで映るようになったら坂田先生お薦めの番組がチェックできるv

個人的には職場と自宅ともにメインはノートを使っている。
移動は通勤のみでしかも車だからPC関係を触る余裕はないので、そこまでして触らなくても~~と思いつつもipadの便利さはやはり凄いことだと思うのだった。これが電車通勤なら絶対に持ち歩いてるがw
佐賀では救急医療にipad導入だそうだし、群馬でも近々に導入らしい。
確かにノートPCより起動も早く操作性も易しく移動に強い。
apple、いやジョブズ氏はやっぱりスゴイものを創ったとやっぱりしみじみと思うのだった。


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祝!紫綬褒章!萩尾望都先生受章

な、なんと!われらが萩尾望都先生が紫綬褒章を受章されたそうです!!
今TLではこの話題が沸騰中、ここのところ腱鞘炎もあってネットを控えるようにしてたのと今日は外出してたのでネットチェックが遅れてかなり話題に遅れてしまいましたが、もうめちゃくちゃ興奮中です。
紫綬褒章の女性漫画家の受章は長谷川町子さんに続いて二人目だとか。
長谷川さんは国民的マンガ・サザエさんの作者ですから少女漫画家としての受章は萩尾先生が初めて。
しかも私らマンガ好きには少女マンガ界における神のような方、少年漫画界の手塚先生の様な存在という認識は当たり前ですが、正直なところ一般的な認知度はまだまだ低いと思っていただけに実は内心けっこう驚いています。

記事はこちら
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120427-OYT1T01150.htm

http://jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012042800069

http://natalie.mu/comic/news/68621

これというのもこのところの萩尾作品、先生の活動へのフランスやアメリカといった海外での高評価や、原発問題を扱った作品の話題の高さなどもかなり今回の受章の審査につながったのかもしれません。
しかし、少女マンガ界のみならず、小説、映画、アニメ、さらには文学評論さまざまな他メディアの創作・表現に関わる人たちにどれだけの影響を与えてきているか、そして今も与え続けているかを思えば今回の受章は当然というか、もう一ファンとしては、この際最大級の「どや!顔」をさせて頂きたい!
一ファンとして子供の頃から好きでずっと応援しづけてきた先生がこのような大きな賞を貰われてさらに多くの人達に知って貰えるというのは本当に嬉しいです。
心からおめでとうございます、と言いたいです。

ちょっと興奮モードのままで挙げちゃいますが先生のところには祝福メッセージが殺到中でしょうね!!

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「ベル デアボリカ通信(7)」

少し前に坂田先生から「ベル デアボリカ通信(7)」が届きました!
季節がら桜の切手で、相変わらず細やかな配信ですv
内容が、クロッキーから出て来たという「ヒマラヤ」という長編のネームの話など
ちょっとBLっぽい話と思われる別の物語のカットが載せてあったりして
きゃあきゃあ!もんでした。
「ヒマラヤ」というのは昔、ひとさまにお借りしてデータチェックした「ラブリ」の予告特集号にタイトルカットが載った分で私もずっとこの作品はどうなったのだろう・・・と気になっていた作品でした。
コミックトム記載の「水の色の空」(『塔に降る雪』潮出版 所収)http://homepage2.nifty.com/~haneusagi/sakata/publish/ushio/u_sub03.html
を読んだ時に、これはひょっとしたら「ヒマラヤ」の一部なんじゃなかろうかと思っていたので(もっと正確に言うと、「ラブリ」を読ませて貰った方が「水の色の空」を読んだ後なんで、予告特集号を見た時にあの短編はこの長編の一部なのでは?と思ったというか・・ややこしい;)

くだんの予告カットというのは1980年3月発行『ラヴリ7号』「予告編大特集小冊子 ”80年はラヴリにまかせろ!「描くか描か ぬか大特集」おたのしみはこれからだ!2”というやつで、みんながこれから描きたいと思ってる作品を実際に連載を始めるかのようにばーんと予告カットだけ!描いたものなのです。
その時の坂田さん の予告は「ヒマラヤ」「吸血鬼幻想」で「吸血鬼幻想」の方は実際に作品として掲載されましたv吸血鬼の食糧事情について、と言いながらかなり耽美でシリアスな雰囲気の短編です。
が、「ヒマラヤ」の方は作品になってないので、これもきっと坂田さんの頭の中には構想があるに違いないと思っていたのですが、やはりかなりもうネームは出来ているのですね~~~。
読みたいなあ・・・・

もうひとつクロッキーからカットが今回載っていた話はちょっと面白・えっちな感じの話っぽいのでこれもやっぱり読みたいですvまだまだ描かれてない作品が坂田さんの頭の中にはざくざくあるのかと思うと、こちらも身もだえしてしまいますね!!
ともかくはお体に気をつけて是非是非読ませて下さいとお願いしておこう!!

そういう私もこの頃、手指に腱鞘炎を起こしまして、入力がかなりしんどいものになっています。
いや入力自体に痛みはないのですが、その後が大変というか、、、湿布貼りながら寝ています;
日中はどうしても手を何度も洗う場面がありますので、非常に貼り時が難しいのですが、日に2,3回湿布を貼り替える感じでやっております。

先日の対談レポもそういう意味ではちょっと一気に打ち込みすぎたみたいでかなり後に響きました;
HP作業も中断してしまって色々別のことやっちゃったし(そんでそれは大して役に立ってないという;しくしく、、、人間だれしも向き不向きがある;)
なんとかサカタデータに戻っていかねば。

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【萩尾望都 『マンガのあなた SFのわたし』出版記念トークショー】レポート後半

前半というか力尽きたところ
http://haneusagi.cocolog-nifty.com/simauma/2012/04/sf-a4a0.htmlからの続きです
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■過酷なマンガ制作の現場■
水野「バレエは30代40代、いつからでも始められる。自分もそうした年齢で始めた。
運動不足になってしまうから、というのもあってバレエ教室に通って、記録を見ると「白いトロイカ」連載の頃も合間に発表会の舞台に出ていた。レッスンにも通っていたらしい。始めてみたら?私はもう出来ないけど」
萩尾「私に勧めていながら」(どっと笑い)
水野「私はもう腰を悪くしたから。「ルードヴィヒ」を描いてる時、カンヅメにされてそれもホテルとかじゃなく印刷所に連れて行かれて丸3日間。寝るのも固いところで仮眠を少し取るだけ、ずっと同じ姿勢で描き続けてそれだったから終わった後腰を痛めて。椎間板ヘルニア。10年以上前の話だけど。腰は痛いし足もずっとしびれっぱなし」
萩尾「それはひどい。原稿を落としたほうが良かったですよね」(笑い)
水野「マンガを描くって体力が要る。1に体力、2に体力、3に体力。才能なんて二の次」
倉持「最盛期で月に何枚くらい描かれていたんでしょうか」
水野「一番最高で1週間で64枚、1週間で仮眠したのは6時間・・というようなほとんど寝ないで描いていた時があった」
萩尾「週刊誌時代の「トーマ」の時は6日ネームやってて絵は残りの24時間で上げる」(えええー!?と会場笑いとどよめき)
水野「私も「白いトロイカ」の時に一日に16枚上げたことがある」
萩尾「今では考えられないけども、当時は描いていていよいよとなると加速装置が入る(笑い)
*注*加速装置というのは萩尾先生が好きな石ノ森章太郎さんの「サイボーグ009」の主人公・島村ジョーの持っているサイボーグ機能のことです*
一番描いた時に一晩で15枚、先に扉絵上げてるから正味14枚描いたのが最高。下絵に30分、ペン入れ30分。
今は出来ません、一日に1、2枚。」
「作品によってキャラクターのバランスが違う。手がそれをマスターしてくれるまで時間がかかる。新連載の最初の内は」
倉持「カラー原稿は楽しんで描かれるんですか?」
水野「うまくいくと楽しい」
萩尾「嫌いじゃないけど時間がかかる。色の選別が分からなくて難しい」(ここで会場からは、えええ?という雰囲気、あの美しいカラー絵の数々を描かれてる萩尾先生なのに、という感じ)
水野「時間はかかりますよ、色を選ぶのは難しい、時間はかかる。昔は子供が見るものというのできんきらきんが好まれた。当時は少し地味な絵だとダメ出し、受け取っても勝手に色を付けられていた。ひどい時はドレスのドレープに赤と黄色を塗り分けられたりしたことがあった」(会場から衝撃の声)
「なんとか修正したいと思っても直せないんですよ」
萩尾「スキャンして画面上で直した方がいいかも」
水野「今ならそういう技術もあるんでしょうね」
倉持「萩尾先生は自由にやらせてもらったんですか」
水野「少女マンガももう成熟期に入っていたから。山岸さんも渋い色を使う方である時山岸さんが使っていた色の感じを見て、どうしてそんな色が使えたか?と聞いたら、普通に受け取ってくれましたよと言っていた。
時代の差ですね。」

■画材やらペン先やらのお話■
萩尾「最初はルマのカラーインクを使っていたのだけど製造中止になってしまって。ペリカンだと乾くのが速くてちょっと追いつかない」(*注*このあたりメモが曖昧なので聞き取り違いがあるかもしれません)
水野「さくら水彩はあまり手に入らないけど透明でキレイな色彩。カラーインクはあまり使いません、ブルーは綺麗だけど。」
萩尾「カラーは苦手。カラーインクと水彩を合体で使っています」
倉持「よく廃番になる画材とかあって苦労される話を聞きますが」
水野「ペン先が今まで使い慣れたものがなくなるのできつい」
萩尾「タチカワのペン先を使っていたけども腱鞘炎で止めて、それより柔らかいゼブラのを使っていたのだけどそれも段々きつくなって今はニッコーのGペンに変えました」
水野「私はGペンは使わない」
萩尾「Gペンでなければなんですか?」
水野「カブラ さじペン・・」(*注*4月10日AM10時50分マイミクさんよりの情報で「さしペン」を「さじペン」に訂正しました。形状からの名称だそうです)
萩尾「きゃあー、カブラ さじペン!!」(*このあたりの萩尾先生の反応が非常に面白かったのですが、なにぶんペン先の知識がないので意味がもう一つ分からないのです、たぶんカブラのさじペンを使うのは非常に難度が高い?固いペン先ということなんでしょうか??)
倉持「水野先生はマンガの描き方を説明する画像をDVDで販売されているんですよね」
水野「自主制作なのでHPから通販してます」
(*水野英子先生の公式サイトはこちら↓
http://www5f.biglobe.ne.jp/~hideko/index.htm

水野「指の骨がもう曲がっているんですよ。」
萩尾「カブラも試したけど筆圧が弱いから線が引けない」
水野「ペン先の種類にも拠る。紙質にも拠る」
萩尾「紙はケント紙をまとめて買っています」
水野「昔の紙でプロの画家用のはずっと質が落ちないが、今のは3年くらいでダメになる。昔の絵のでホワイトは落ちないが、今はパラパラ落ちてくる。」
萩尾「落ちないホワイトを開発してほしい」
水野「「星の竪琴」とか「白いトロイカ」とかのホワイトは今も落ちない」
萩尾「スクリーントーンも落ちる、セロテープの部分は変色する」
水野「だからセロテープは貼らないようにして、最低限にしてと言っても編集サイドはやるから。今はデータで渡すなどして自衛するしかない」

この辺で時間が来て、残り時間で会場からの質疑応答の時間になりました。
■会場からの質問■

質問1 これから先の少女マンガはどういう感じに?この先どういうマンガが受けると思うか?
(すみませんが質問内容をメモ取り損ねました;違っていたかもしれません)

萩尾「70年代のマンガは読者が広がったという点でジャンルが多様になったが、これからも時代時代でいろんなジャンルが立ち上がっていくと思う。
昔は両想いになってハッピーエンドというのが主流だったけども、今は韓流ドラマみたいにいろんなあり方に変わった。ジャンルも心情も時代時代で変化している。」
水野「私はもう今は分からない。バラバラにみんなが好き勝手に描いている感じがする。自分は今は描く場所がないので自主刊行をやっている」

質問2「11人いる!」が好きなんですが、どういうところで思いつかれたか?
萩尾「宮沢賢治の「ざしきぼっこ」という話がある、シンプルだけどとても怖い話。それが元になっています。
高校の時にタイトルも含めて思いついたが当時は11人のキャラが描き分けられなくて6,7人目から全部同じ顔になってしまった。いつか描いてみたいと思っていた。今はもっとこういうキャラも入れれば良かったなと思いつく。

質問3「ポーの一族」についてエドガーをもう一度描いてほしい
水野「ポーはいい作品、ファンの人が窓を開けて寝る、エドガーが来てくれないかと思って、という話をしていた」
萩尾「もう同じキャラクターを描こうと思っても描けない。キャラクターは生ものなんだなと思うのだけど、エドガーのいとこかはとこかくらいの感じなら描けるけど(笑)
20代の時にエドガーは好きなキャラだったけど30代になったら分別が付いた分、生意気なガキと思ってしまった。その途端エドガーがさようなら~と手を振って遠ざかってしまった。(会場はどっと笑い)
あー、分別なんかつかなきゃよかったと思うが一度ついてしまったものは捨てられない、さびのように落ちない。
なので描けないのです。
質問4「一日何時間くらい?」
水野「今はもう比べものにならない。最盛期は一日1時間しか寝ない日もあった。同じ姿勢でずっといるのがいけない。首の骨と指の骨が曲がっている。お医者にスポーツ選手並みの曲がり方だと言われた」
萩尾「そんな自慢をしても(笑)」
水野「そのくらい大変な仕事」
萩尾「私も締切の最後の一日眠れないというのがあって、トイレに行くとか最低限のことしか出来ない、それが辛かったし、今はもうやれない」

■最後にそれぞれの今後の活動について■

水野先生はオペラの紹介本に絵を描かれたそうです。解説があの青島広志先生。
(公式サイトはこちらhttp://aoshima-hiroshi.com/

水野先生のファンだということでご依頼があったのだとか。
≫解説・音楽家 青島広志先生 
『マンガで見るオペラ入門』(仮題)

詳細情報はこちら
http://www5f.biglobe.ne.jp/~hideko/opera.html

*この絵の紹介も水野先生はスタッフの方に渡しておられたようなんですが、後ろに大きく映されるということがなかったのがちょっと残念でした。スタッフの方もお忙しかったと思うのですが。
青嶋先生の音楽の解説本を読んだことがありますが、分かりよくて面白かった。オペラの紹介というのは筋が入り組んでいて案外分かりにくいものなんですが、それをコンパクトに解説されてるということなのでかなり面白い本になるのではないでしょうかv

萩尾先生は既にtwitterなどでも情報が流れているようにフランスの書籍見本市「サロン・デュ・リーヴル」に招かれたり(詳細記事は下記)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120308/bks12030807420001-n1.htm

夏にはパリで開かれる「ジャパン・エキスポ2012」に出展されたりと今年は非常にパリパリされてるそうですw
詳しい情報は下記が常に最新情報が挙がりますので是非チェックしてみてください。
http://www.hagiomoto.net/

萩尾先生が出展されるのは「レオくん」の仏語翻訳版だそうです。小学館には既に許可貰ってあるそう。
ただ、最初はアマチュアブースで出すつもりだったら既にフランスのジュンク堂で日本語版が販売されているのでそれだとプロブースじゃないと出展出来ないのだそうで、それで仏語版を出されるのだそうです。
「売れないと赤字になりますので日本からも買いに行ってください!」とおっしゃってました(笑)。
先日はフランスの新聞の表紙に萩尾先生の絵が全面に出ていて(WEBで見れたんですが)本当にびっくりしました。原発問題をファンタジーにして描いた作品ということで原発に関する記事に絡めての紹介だったようです。
世界をまたにかけて活躍する萩尾先生はこの日も非常におしゃれで素敵でした。
そして大御所の水野先生も終わった後もファンに囲まれてパワフルでした^^
ホントに内容充実の濃い対談でした。企画してくれた河出書房の穴沢さん、司会・京都国際マンガミュージアムの倉持さん、関係スタッフの皆様、どうも有難うございました!!

会場では河出書房さんからの出版本の販売のほか、会場限定販売のメモ帳とA6判のカード(絵は70年代対談本に使われたカラーのやつです)の販売がありました。
写真撮影も可でしたので行くところに行けば写真もあがっていることでしょう(残念ながら私はあまりお二人が見える席でなかった&ちゃんとしたカメラを持ってなかった&元々撮影下手)なので写真は撮っていません。ごめんなさい)。
全員にポスターお土産だったのも嬉しいですね。
穴沢さんの呟きによると80年代本の記念イベントでも対談を予定する感じなので、さあ次はどなたとの楽しい話が聞けるのか今から楽しみです!皆様も要チェックを!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・以上長々まとめましたが、読んで下さった方、お疲れ様でした!!

こちらを読みにいらした方でまだこの対談集を入手されてない方には是非お薦めです。
ソフトカバーでレイアウトも非常に読みやすく、対談の内容に合わせて画像が貼ってありすっごく分かり良い内容です。画像のセレクトは「図書の家」の小西と卯月が協力しております。
マンガのあなた SFのわたし 萩尾望都・対談集 1970年代編

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【萩尾望都 『マンガのあなた SFのわたし』出版記念トークショー】レポート前半

昨日4月7日土曜日、上京して行ってきました!
私自身はこの日行けるのかどうか?という状態でいたのですが、「図書の家」の小西が余分に電話でチケットを予約入れてくれて、お蔭様で行けたのでした。
イベント詳細は下記↓引用です
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【萩尾望都 『マンガのあなた SFのわたし』出版記念トークショー】

自身初の対談集マンガのあなた SFのわたし 萩尾望都・対談集 1970年代編
を発売した漫画家、萩尾望都。
ゲストに水野英子を迎え語り合う貴重なトークショーです。
http://www.spiral.co.jp/e_schedule/2012/04/event-sf.html

◆イベント概要◆

●日時:4月7日(土)
●会場:青山CAY (スパイラルB1F)
〒107-0062 東京都港区南青山5-6-23
http://www.spiral.co.jp/a_map/index.html

●時間:Open 11:30/Start 13:00
●前売・予約:¥2,300(整理番号付き)当日券¥3,000【ともにドリンク別・税込】
 *ご来場者全員に非売品ポスタープレゼント  
 *当日券は前売り券が完売した場合は販売いたしません
 *当日ドリンク代¥500別途必要

●席種:自由席(整理番号順に入場となります)

●出演:萩尾望都 
 ゲスト:水野英子
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
当日午前中に小西と卯月と3人で図書館で調べ物をするというミッションがあった為、青山スパイラルホール地下の会場に着いたのは12時半頃でした。会場は思ったより狭く、お二方の対談を楽しみにするファンの熱気に溢れていました。見知った顔もたくさん、初めてお会いできた方たちにご挨拶したり。
対談集を編集された穴沢さんは受付横で物販に忙しそうでした。

司会は京都国際マンガミュージアムの倉持さん。両先生の作品にも精通されていてスムーズな進行が素晴らしかったです。
水野英子先生といえば、伝説のトキワ荘に集まったマンガ家さん達の紅一点にして、少女マンガ創世期を女性自身で切り開いていったまさに開拓者。
対談はその当時の話から始まりました。ともかく萩尾先生にとって水野先生は偉大な先達ということでお話は常に萩尾先生が水野先生の話を聞きたいモードで動いていたように思います。今まで何度か生で聴きに行った対談の中でも萩尾先生の口調が速かったwあと時々天然系ボケとつっこみをされる萩尾先生のお蔭で会場は常に和やかで笑いが絶えませんでした。
以下、あまりにも内容が豊富でメモも取りきれませんでしたし、全てを会話形式でまとめるのは難しいのでおおよその内容をまとめたものです。時々敬称略になってる箇所あります(失礼ご容赦)、記憶違いなどある場合もあります、その点どうぞご容赦の上でお読みください。

■水野先生デビューの頃■(主に水野先生のお話)

水野先生がデビューした当時のマンガ誌は現在のコマ割のものではなく絵物語が主流だった。1955年『少女クラブ』に一コママンガと小さいカットが載ったのがデビュー。その後ストーリーマンガで「赤っ毛子馬(ポニー)」連載長編マンガとしては「銀の花びら」が最初だった。この「銀の花びら」の一回目は手塚先生の当時の連載最終話とかぶっていて、まさにバトンタッチだったことを後で知った。というのも少女マンガの創成期は手塚先生、石森先生など男性漫画家が少女マンガも描いていたのだったが、その手塚マンガを少女マンガ界で引き継げるものは水野であるということでの意味合いが込められていたと。当時の連載一回のページ数は「リボンの騎士」が6頁、「銀の花びら」は8頁だった。
*お二人の対談の後ろではスクリーンに当時の貴重な扉絵などが次々と映し出されていきます。「銀の花びら」もありました。(画像提供は「図書の家」の小西でした。)*
萩尾先生が一読者としてマンガを読んでいた時期に水野先生は既にデビューされていた。
萩尾先生は「銀の花びら」連載の当時は小学校3年生で、両親が厳しかったから家でマンガを読めなかったが友達のところなどでとびとびに連載を読んだ。
戦後少女マンガの最初は男性漫画家だったけども、水野、牧、わたなべの各先生、あと今村洋子さんなどが女性の少女マンガとして登場した時代だったという話。
水野先生いわく「今村洋子さんが言っていたのだけど、男性漫画家が描くマンガでは主人公がずっと同じ服を着てるからおかしい」と。というのも主人公達に同じ服を着せてないと子供は登場人物の見分け認識が出来ないだろうという配慮かららしいが、そういうのはやっぱりおかしいよね、と。
そこで萩尾先生は「私は子供の頃貧乏な家で服も着たきり雀だったからそういうもんかと思ってた」「牧先生やわたなべ先生達の作品では登場人物がどんどん綺麗なドレスを着替えていく、お金持ちの生活ってすごいなーと思った」との突っ込み。会場は爆笑です。
「少女の憧れの世界を描いた」と水野先生。
*後ろに映し出されている主人公のドレスのドレープの美しさ!*

■マンガは子供の教育にとって悪という時代(焚書)■
萩尾先生が子供の頃、ご両親はマンガは教育に良くない、バカになると言っていたし、世間でも当時マンガなど子供の教育に悪いものを燃やす焚書事件といったこともあった。
でも自分にはマンガのどこが悪いのかさっぱり分からなかった、と萩尾先生。
水野「ビジュアルなものは悪いという傾向自体が日本には古来からある、画家のことだって三文絵描きなど言って蔑んだりする言葉がある。PTAなどの迫害にも関わらず子供たちがマンガを読み続けたのは他に娯楽がなく、マンガは面白いものだったから。影響力が大きいから逆に迫害もされたのだ」
萩尾「私が20歳になった頃から大人向けのコミックが増え始めた」
水野「マンガを読んでいた世代が成長してそのままマンガを卒業することなく読み続けた結果年齢巾が広くなり上がってきたので、その分高度な内容が描けるようになっていった」
「「セブンティーン」という雑誌では読者が完全に高校生以上という対象だったので、西谷祥子さんとか描いていた。自分は「ブロードウェイの星」という「ファイヤー!」という連載の前段階の作品を最初に描いた。
読者の年齢が上がってもついていける内容が描けるようになった。
結局のところ編集者も試行錯誤で自分は丸山昭さんという編集者さんが色々描かせてくれた。
「週刊誌時代になってからラブロマンスを描けるようになった、それを読者も望んでいた。この分野を最初に描いたのは自分だったが一つの時代の要求になりロマンスがなければ少女マンガじゃないみたいな流れになった。その流れは自分が作ったなと後になって思った。」
「逆に受けるものの傾向が決まってきて、「白いトロイカ」は歴史ロマンスなのでそんなのはダメと編集の方で最初反発もあったが粘って描かせて貰った」
「当時はよく洋画からの翻案を漫画化で描くよう提案されて「麗しのサブリナ」が「すてきなコーラ」に(でも映画を知らないので結局オリジナルだが)、受けやすいものを描くように編集に言われるので描きたいものを描くのは常に編集サイドとの喧嘩みたいなやりとりがあった」

■萩尾先生のデビュー当時■
萩尾「低年齢向きの雑誌に描くのは没になることが多かったが、ふとしたことから小学館の編集の山本さんを紹介して貰って知り合い作品を見せたらそれまでの作品も全部買ってくれるという話になった。
当時描いていたのは講談社だったが、それで小学館に移っていいかと聞いたら簡単にいいよと言われた。
(倉持さん「あとで悔しがられたと思います!」会場でどっと笑いでした。)
山本さんの方では新雑誌を作るので描き手を探していてタイミングがよく移るのは非常にスムーズだった。

■男性主人公の「ファイヤー!」(水野英子)■
倉持「男性主人公の作品は珍しかったのでは?」
水野「「ファイヤー!」はロックが描きたくって描いた。時代的にも日本でグループサウンズが人気で時事ネタでもあった。男性を主人公にしたマンガは樹村みのりさんで「雨」というのが早い時期にある。連載として男性主役にして描いたのは自分が最初なのではないかと思う」
「でも最後の方は体力的に疲れて原稿を落としてしまったりしたのもあり、予定していた最終回よりも4、5回前に打ち切られた。コミックスになる時に10ページほど描き足したがそれでは全然足りなかった」

■少女マンガの中のSF■
水野「私たちの時はSFは少女マンガでは受けないから描くなと言われたが、あなたの時はどうだったのか?ラブコメなどを要求されてSFは受けないと言われた。あすなひろしさんが昔人体に寄生する話を描きたかったのにダメと言われたらその後SF映画でそういうのが来て話題になって凄く怒っていた。私たちのほうがいつも時代より先だったのに」
萩尾「「11人いる!」は山本さんがおれは少女マンガは分からないと言っていて「SF描けよ」と言ってくれたので「おおせのとおりに!」と言って描いた(笑い)。
水野「「SFマガジン」ブラッドベリが出たりして非常にSFを描きたかったが自分はダメと言われていた。週刊誌では厳しかった。ル・グインとかいいSFを書いていて自分も大人の為のSF世界を描きたかったが迂闊にも出産育児で10年くらいブランクが空いてしまいマンガ界から除外されている。今もでも描きたいと思っている。」
萩尾「テーマの掘り下げ方としてSFはとてもいいですよね、もし世界がこうだったら・・・と。大津波が起きて原発事故が起きたら実際にSFみたいな世界に放り込まれる。是非描いて下さい」
水野「SFというのは架空の世界を描きながら現実の問題を描くものなのだが、いつも自分が先すぎるんですよ。手塚さんもそうだけどその時点では理解されない、はるか後で影響が出てくる。」
倉持「大人になって後になってからはっと分かる、そういうことがお二人の作品には共通してますね」
水野「今は発表する場がないので自主刊行しています。」

■原稿の保存について■
水野先生のデビュー当時は原稿というのは使い捨てで再録するというものではなかった。原稿はまったく返ってこず、数年前には古書店で自分の予告カットの生原稿が売られていたりした。
萩尾先生の生原稿も販売されていて(盗難だけでなく昔は人気取りの為に読者サービスプレゼントとかしていたそう。一枚山本編集長が写真に撮ってくれていてネガがあるよと言ってくれたのもある…)
(水野先生は原画プレゼントといったことは一切しなかったそうだ)
そうした原画の一枚を羽海野チカさんが偶然買っていて、出版社に萩尾先生に返却したい旨を連絡したりしたがうまく伝わらず、いつかご本人にお返ししたいと願っていた。それが漫画家になってようやく直接話が通り返却出来たという話が今回の本の対談にも記載がある。

*2012年4月11日PM10時10分追記*
卯月のコメントより抜粋
≫原稿を紛失された話では、水野先生は、細かいカットだけでなく、連載の扉絵ももどっていないし、連載の第一回(連載のタイトル失念)はまるまる無くなっていて、単行本になるときに、ぜんぶ雑誌から起こした。ホワイトで修正するのに丸なん日かかかった、とおっしゃってたのが、今でもずっと悔しく思われてるんだなぁと思いました。
≫あと、萩尾先生がおっしゃってたのは「トーマの心臓」が連載中に人気がなかったので、人気取りのため、毎回の扉絵を読者プレゼントにしたため、残っていないという話ですね。それは山本さんが写真で残しておいてくれた(ので、きれいな状態でいまも印刷できる)ということでした。≪≪
*コメント全文もぜひご確認ください*
*山本さんが読者プレゼントにした分の原画はネガが残してあったので綺麗に起こせたということですね、さすが山本さん!!*

当時の原稿の扱いはひどいもので、作家への返却がきちんと出来てなかったという他にも、カラー扉絵の色は勝手に出版社サイド(印刷部?)の方で付けていたという衝撃の話もあった。ちょうど後ろに映し出された水野先生の扉絵は彩色されていたが実はその色も勝手につけられていたものだったらしい。
その他ドレスが赤と黄色に襞ごとに塗り分けられていたりもあったという、とんでもない扱い・・
水野「「白いトロイカ」は連載が長かったから扉絵も相当描いたがほとんど残っていない。いい絵ほど無くなっている。」「最近は原稿は生原稿では渡さずデータで渡すようにしている。竹宮さんがやっている「原画ダッシュ」あれはいい。ほとんど生原稿と変わらない精度だし、雑誌から起こした原稿もこれでだいぶ回復させたりした。」

■題字の話■
萩尾先生が水野先生は題字もご自分で描いておられたという話を振られた。
水野「編集さんに任せると内容に全然合ってない感じになるので、そこも含めて物語の絵ということで描いていた。当時はその方がレタリングも要らなくて喜ばれた」
萩尾「それで自分も題字を描いていいと思っていたらダメだ、そこはイラストレーターがいるんだからと。
じゃあこんな感じで、と指定しようとしたら、ダメだゴシックか明朝しか選べない・・と」(会場どっと笑い)
*カラーでも題字のフォントや指定にしても当時の印刷技術と現在の技術の差の大きさと作家さんのこだわりを理解していない部分と両方の問題があるように思いました*

■物語の構成のお話■
萩尾先生が水野先生に「物語は最初から最後まで考えて描かれるか?」という質問をされると水野先生はびっしり最後まで考えてから描き始めるという答えで、萩尾先生ご自身は二作を除外したら自分もそのタイプなのだがということでその二作は「スターレッド」と『バルバラ異界」
萩尾「スターレッド」は三日後に予告を出すから考えてと言われて決まらないまま描いたらそれはサブキャラになってしまった。3回目くらいまで次をどうしようどうしようと思いながら描いて4回目くらいから最後までなんとか決まったがそれまではサスペンスを味わった」
「イメージは手から出てくるのでたくさんたくさんいたづら描きをして出てくるのを待った」
水野「自分は頭にシーンがばしっと出てくる」

■絵はどこかでならったのか&バレエの話■
萩尾「水野先生は絵をどこかで勉強されたのか?」
水野「自分はまったく独学。小学校にあがる前から絵を描いていて、童謡とか歌の歌詞の状況を絵にしたりしていたようだ。作品を描くために資料を読むということはしない。好きなものをいっぱいいっぱい集めて読んだり見たりしてそれが後で作品に活かされる。それの蓄積でイメージが出てくる」
萩尾「ドレスのドレープとかどうしてこんなにきれいに描けるのかと思って」
水野「中原淳一さんの絵の影響はある。ドレープは身体の動きを表現できる。描くことで体の線とか想像できる」
倉持「萩尾先生が描く服も素敵ですが何を参考に発想されるのか」
萩尾「発想はというのは分からないが(笑い)
・・・バレエは好き。バレエマンガで育って当時は憧れでしかなかったが、大人になって生で見る舞台の美しさ」
水野「私もお風呂屋さんのテレビで初めて見たバレエには感動した(当時は各家庭にテレビがあるような時代ではなかった)」
萩尾「手塚先生も宝塚に影響を受けたという話がある」
倉持「バレエを見てマンガに活かす?」
水野「音楽とリズムが作品の中にある」
萩尾「バレエマンガを描こうと思ったのはレッスンを見学に行って個人個人が同じことをやっても表現が違うのでこれは面白いと思って、レッスンの場面から入るような作品を描こうと思った」

・・・・・・以下まだまとめ切れてません・・・次回後半に続く・・・

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それにしても

ここしばらくの「カーネーション」人気はすごく、こんなネットの片隅のブログでも相当数の方が感想を読みに毎日毎日アクセスされていった。
共感か反感かは分からないけど、なんらか思いながら読んでいかれるのだろう。
もう既に新しい朝ドラが始まっているのだけど、私は堀北さんは好きなのだけど(顔がね可愛い)、毎週末録画を見るのも案外一仕事で、けっこうしんどい面もあるので、今回の朝ドラはお休みしようと思うよ・・・
カーネーションはネタがアパレルの話だというのもあったし、面白そうだったし「ゲゲゲの女房」の時は見たいなと思いつつ朝はムリよねと諦めてて、周囲が面白いと騒ぎ出して&土曜にまとめてやってるというのを知って録画をして後から見て。でもまとめ再放送でさえ最初の方を見損ねてダイジェストでしか見てなくて残念だったので、今回のはちゃんと見ようと思って最初から見たのだった。
「おひさま」はこれもマイミクさんが面白いよというので見出して、これは脚本は後半が今一つだったように思うが、井上真央と樋口さんの演技が非常に良かったvv後半はちょっとたるんでいったけど途中までは本当に面白く見た。

堀北朝ドラ、私みたいのもいるからちょっと苦戦しちゃうかもなあ。夢中で見た後だと少し休みたくなるのよねえ・・・NHK朝ドラや大河を全部欠かさず見るという人もいるが、それってなかなか根性あるなと思うw
録画して見るとかだとすぐ溜まっちゃってなかなか大変なのよねえ・・・・。

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