『ツビッキーコレクション3』完結巻発行されました!!

坂田靖子『ツビッキーコレクション3』出ました!シリーズ完結です。
https://www.futabasha.co.jp/booksdb/smp/book/bookview/978-4-575-33867-6/smp.html
装丁もきれいな桜色バックでとても良い感じです。
Isbn9784575338676

隔月連載で新シリーズ「一応探偵局」も始まってますし、新刊も出たのでデータを更新しました。
http://haneusagi.la.coocan.jp/sakata/

『ツビッキーコレクション』はとても不思議な物語です。コミカルな展開ですが、実はちょっとしんどい部分もあります。
ここからネタバレ含むので未読の方はお気を付けください↓

ざっくりしたあらすじ
いつも飲んだくれていた父親がクリスマスの朝に交通事故で死んでしまう。事故に遭うところから居合わせたフリッツは死に際の父親の遺言を聞く。父親が買って住んでいる古城に(「観光客はバケモノと恐いものと湿気臭い古城が大好き」だから「ヘンなものとキモチ悪いものとウサンくさいもの」を遺産を使って集めて博物館にしろというもの。
そんな遺言を無視しようにも父親の召使だったグスタフに管理されていて遺産は自由に使えない。
さらには父親が死ぬまで存在も知らなかった双子の弟・エドワードまで現れた。
エドワードはフリッツには一切記憶がない母親に育てられたらしい。生まれた双子の弟の方を連れて夫を見放して逃げた。そしてもう亡くなっているという。
フリッツが混乱してる間にも、フリッツに代わりなぜか「そういう話を聞いたことがある」というグスタフが、今は一人だというエドワードにここに一緒に古城に住めばいいなど言い、同居がスタートする。
世話をしてくれるグスタフ一家にはすんなり受け入れられたエドワードは役者(主にエキストラ)をやっているホラー・オカルト大好きの明るい性格で、何かと怒りっぽいフリッツを助けたり癒したりしつつ、結局二人で遺言を実行すべくコレクションを増やしていく…

コミカルな展開に見えながら実はフリッツは現代で言うところの(アル中でろくでもない父親の)ヤングケアラーとか一昔前ならアダルトチルドレンと言われる存在ではある。
ろくでもない親に育てられ愛情も教育も十分に与えられず、それでも最後までそんな親の面倒を見続けた苦労人。
うさんくさいものを集めるつもりで父親が貯めていた遺産はかなりな額になっており、これだけあれば自分はバイトもせず大学にも行けたのではと嘆くフリッツ。だが、グスタフに言われる通り、結局は遺言の品を集めること以外には使わない。
物語の端々に小さい時から欲しいものも買ってもらえなかった、クリスマスでもバイトに明け暮れていた、母親の顔も知らないなどフリッツの辛い過去が出てくる。父親はそれなりに蓄財していたのに、貧乏な生活で寒々しい部屋に住むフリッツの境遇は理不尽でしかないが、その中で怒りながらもとりあえずバイトを見つけては出かけるフリッツには友人も知人もちゃんといる。
フリッツが時々怒りを露わにするのは、子供と親の関係の中の理不尽さに関わる事柄。
親がどうしようもないという事実を受け入れ、現実的にどうにかやってこなくてはいけなかった彼が、対照的に穏やかに育ったらしいエドワードとの暮らしの中で不思議な癒され方をするコメディなのだ。
エドワードと暮らした母親というのはどういう人物だったか一切顔は出てこないが、エドワードが時々話す母親の思い出の度にフリッツは密かに傷つく。不思議な継ぎ足しの変なセーターの話をみるに相当変わってたかもしれないのだが、でもなんでも素直に受け入れ前向きに対処するエドワードを見るときっと明るい母親ではあったのだろうと思われる。
いったいエドワードは本当に双子の弟なのか?母親とはいったい…?と謎は謎のまま、それでも収蔵品の買取で時に騙され落ち込みながらも、楽天的で実務的なエドワードとの生活は明るいものになっていくだろう。

なんて、データではネタバレ避けているのであまり突っ込んだことが書けないのでこちらに書いてみました。


ふしぎな坂田ワールド健在!!
未読の方はぜひチェックしてください!


|

沼その後

ある沼にはまってしまい、ともかく繰り返し読む日々。今までも好きになるとつい繰り返し読む質ではあった。

それを友人に暑中見舞いに書いたら、LINEが来てしばらくぶりにチャット状態に突入。高校来の友人でこの人は去年中国BLにハマって、自力で翻訳しつつ読んでるという斜め上のオタぶりを言ってた。今年も相変わらずらしい。

翻訳しつつ読むという熱意には頭が下がるので、自分の沼くらいはまだまだ浅いのかも知らんとも思える。


|

今さらな沼…

本当にいまさらなのですが、あるシリーズをGW前に全巻電書で一気買いして読みだしたのです。
その前からそのシリーズはアニメで見たり、kindle のアンリミを使ってる時には読めるだけ読んだりしていたのです。
(そもそもネットで無料公開されてるラノベだったので無料で読めたんだけど、kindleで部分部分読んでいました)
一気読みしたところ、飛び飛びで読んでいた時よりぐっとハマりまして、、、
しかも、いまさらのように某キャラに萌え…
私はキャラ萌えより関係性萌えの質なので正確には関係性にぐっときたのです。
最終的にはそこに行くんだろうなーと推測はしていたものの、作家さんが絶妙に計算していて
最後に来るまであからさまにその二人だけに焦点しないで、ほかの可能性の方にミスリードさせて書いていたというかなんというか。
が、そこが書かれてからもう一回読み直すと、そのキャラのツンデレ具合が坂田先生の描くツンデレキャラ達と被るんですが
すっごく切なくて良いのです。
有能で美形ででも虐待されて育っていたりして人間的に関係性を築くのが不器用、なのだけど、主人公だけには心許し溺愛し
ああああ、、やっぱこういうシチュに非常に弱いんだなと実感しました。
それでつい、繰り返し読んでしまうのですが、なんせ巻数が多いので再読もいくらでもできてしまう。
今はその沼に時間を吸い取られております。

で、その沼から、改めて坂田作品のデアボリカの二人や、誇り高き戦場の二人などなど同シチュの関係性に心が潤ってきて
萌えがある生活、楽しい~~。

でも時間あるとkindle読んでいるせいで眼精疲労がはなはだしく、ちょっとまずい感じです;;

|

お花見2022

ちょうど週末に桜の満開(ちょいすぎ)にあたり、天気もよく最高でした!
出張って来ていたにゃんこも触らせてくれて、癒されました。
桜並木もあったりなのに、地元の人がパラパラとしかいないという穴場。
Img_20220409_102242

そのほかの写真はこちら↓ 猫も可愛いですv

http://haneusagi.cocolog-nifty.com/photos/2022/index.html

|

朝井リョウ『スター』

朝日新聞に連載されていたものに加筆修正とあったが、え?ここで終わるのという感はあった。正解がない物語だからかもしれない。
読み手があとはそれぞれに考えていくしかない。
物語自体は色々と今感じてるモヤモヤしたものが言語化される部分が多くて非常に面白かった。

https://publications.asahi.com/star/

映画監督目指す二人の青年はタイプが真逆なのだが、その真逆さがうまく機能して学生時代に共同監督として撮った作品が賞を取る。
二人はその後それぞれの道で映像の仕事に就く。
一人は細部に拘るレジェンドの映画監督の撮影助手として、一人は受賞作品で縁が出来ていたボクサーのYouTube動画の撮影編集の仕事を始め…。
全く真逆に進む中でお互いがお互いにとって「隣の芝生は青い」状態。
何本も脚本を書いてはダメ出しを食らい焦っているのに、友人はYouTube動画がバズり話題になる。

この”脚本ダメ出し”の中で出てきたのが、”世界に目配りし回答を用意しすぎる”といった言葉。
ここんとこどの話題本を読んでもLGBTQや虐待諸々の社会問題が出てくる。
確かに物語に重みが出て、社会問題と向き合う感じで単なる恋愛ものや単なるミステリに終わらない深みも出て知らなかったことを知らされて、まさにそれぞれの作家が「世界に目配り」してる状態なのだな、と思った。
この作家らはほんとにそれを書かずにはおれなかったのだろうかと、ちょっと私はもや~~っと思ってたんだなと、この本のこの部分を読んだ時にはた、と納得した。
本屋大賞がらみの作品は面白く読めるしそれぞれ読後感は良いのだがちょっと食傷もするのかも、作家が世界に目配りした物語に用意された回答に。

今回の本は他にも「クオリティ低くてもバズればそれで良いのか?とはいえ伝統的なやり方に拘りすぎて見てもらえないのもどうなのか、見てもらってなんぼという映画作品で?一部の人に高評価されても一般の大半の人には知られていない・見てもらえないというのはどうなのか?」(←大意)
素人でも作品を発信出来るこの時代の表現世界、プロアマの境界線がなくなり手軽に発信できる中でプロとしてのあり方、表現世界へのアプローチの問題が延々と書かれている。
正直どうあれば良いのかは正解はないんだろう。
一瞬バズったって継続していくのは至難の業。
新しいものがぱーっと話題になっても同じ状態は続かんもん。結局は本当に発信したい中身があるかないか、だと思う。

|

読書記録

ここのところの読書記録~。

東野圭吾『透明な螺旋』
ガリレオシリーズの湯川学が出てくる。東野圭吾は物語は複雑な構築なのに文章が読みやすい。
湯川が両親のもとで過ごす様子が意外性があって良い。
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163914244

青山美智子『赤と青とエスキース』
一枚の絵をめぐる物語のつながり。人生の大きな流れとともに。
最近電書で読んだ原田マハの本でもあったが(タイトル失念;)
読みやすいので一気読み。読後感は良かった。
https://shosetsu-maru.com/special/2022ht/akatoaoto_editor

町田そのこ『星を掬う』
本屋大賞の『52ヘルツのクジラ』に比べると最後まで本当にしんどい話が続いて、これはもうほんとに救いはどうなのとグイグイ読んだが、、、
母が子を捨て子が親を捨て。。。
捨てられた娘は成長後はDVの夫から逃げても逃げても追われ、
どうにか見つけた居場所には自分を捨てた実の母。その世話をしている女性は娘を義母に取られるように捨てられた過去を持ち、さらにそこにその当の娘がどうしようもない男に引っかかって妊娠して頼ってくる、、などなど出てくる人達それぞれが親子間の断絶の苦難の中にいて読むのが大変だったがあんまり酷いので一気読み。
東野圭吾のにも出てきたがDV男本当にどうしようもないクズが出てくる。
https://www.chuko.co.jp/tanko/2021/10/005473.html

『スモールワールズ』一穂ミチ著読了。「魔王の帰還」が一番好きかも。「花うた」切ない。
ちょっと「アルジャーノンに花束を」を思い出したり。
昔見た加害者と被害者の家族の交流を描いたドラマあったなあと思い出したり。
調べたらドラマは「それでも、生きていく」だった。瑛太と満島ひかり。重たいドラマだったなあ。
加害者もどこに引っ越しても必ず無関係の他人があいつら人殺しの家族だと拡散するという現実に苦しめられていた。
「花うた」は切ないけど読後が良い物語でした。
https://smallworlds.kodansha.co.jp/


『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』読了。1イギリスの教育システムに驚く。多様な選択肢。
人生どう生きていきたいかを割と早い段階で考え何が必要かをよく考えて受ける授業を選択していかねばならない。具体的で実践的な課題が出る。イギリス凄い。昔の日本の教育しか知らないので比較すると全然良い。あと、凄く教養部分も大事にしている。今の日本の教育はどうなのじゃろ。知らんから日本はダメともなんとも言う立場にないが。
教育のことはともかく政治的には日本同様、自助自助という政府みたいなもので別にイギリスの方がいいとは思えない現状が描かれている。
https://www.shinchosha.co.jp/book/352682/

|

CDーRも過去のもの

昔まだCDーRが珍しい頃。今ではCDそのものが古い媒体で、保存媒体としてのCDーRもPCでデフォで付いてて、という変化の波は早い。20年以上も前はCDを自分で焼ける機械そのものが数万円しました。

我が家はちょっと早い段階で機械を買い、私家版なら著作権もおkということで図書館で借りてきた音源を焼いて、それにフリーで使えるラベルメーカーのアプリを使ってラベル作って貼って保管したりしてました。

ラベルにデザインが色々選べるので音楽のイメージに合うやつを選んで曲名を入力してラベルを作るのがけっこう楽しくて一時期盛んに作ってました。今見ても割と上手いこと作ってて偉いw

段々飽きてそのうちおざなりにはなっていくんですが。

Def0bd2ecdca4910b4cd380028a60f53

|

【琴線のアンビバレンツ -そして美しい異形-】(私的・木原敏江論)

これもデータを整理していたら出てきたので挙げておきます。
昔、木原敏江さんのデータを挙げておられたサイトオーナーから依頼されて寄稿していたのですが、そのサイトは気がつくともう閉められていました。すごく綺麗にレイアウトもしていただいていたのですが。
あらら、寄稿した文章保存しておかなかったなーと思って、まあいいけど、と探しもしなかったのですが、昔使ってたPCのハードディスクを取り出して夫がそのまま保存してくれてたもんで今回中身はなんじゃろかい?と見てみたらその中に入ってました。
まあ若書きというか、なんかこれも気張ってますがwこの頃はポーが再開されるとか思ってなかったな〜
1998年頃に書いた文章ということでご承知おきくださいませ。

////////////////////////
【琴線のアンビバレンツ -そして美しい異形-】
      (私的・木原敏江論)天野章生

☆〜はじめに〜☆
以前知人達とのやりとりの中で、好きな作品やキャラクターのツボは何か(どういう点に特に心惹かれるかを一口に言うと)というやりとりをしていて、私はしばし考えて、自分にとってのツボは「アンビバレンツ(二律背反)」だと答えたことがあった。
矛盾を一つに内包する時、両極に引き裂かれながらの苦しさやるせなさに色気を感じ、琴線が思いっきり触れるらしい。
そして木原さんの世界は私にとって、このツボに溢れている。
大変に私的ではあるが、大好きな木原さんの作品についてこの視点からまとめてみたい。

☆『摩利と新吾』<恍惚と絶望>☆
木原さんの代表作の一つであるこの作品は、摩利と新吾を中心にした青年達の成長物語であり、ピュアな愛の成就ともいうべき一大巨編だ。
新吾への恋を自覚してからの摩利の葛藤、登場当初は被庇護者に見えた新吾の人間としての大きな成長を通して、二人は誰にも代え難い魂の結びつきを果たす。
肉欲をも意識した摩利にとって、ピュアであり続ける永遠の結びつきは甘やかな陶酔を得ると同時に、絶対に手に入らない恋に対する絶望にも堕ちるものだ。
最高のモノを手に入れているのに、それ以上望むべくもないのに、やはり欲しいそのひとつは決して手に入らない。誰もが賞賛する美しい容姿も明晰な頭脳も恵まれた才能も、その前にあって本人にとっては価値がないも同然。
なんでもあるのに欲しいモノだけは手に入らない、これは摩利が自分に似ていると感じた篝(かがり)の絶望でもあった。
健康な二人は決して同性愛を否定していないし嫌悪もしていない、しかし二人の愛は同性愛を超えたところにある至上のモノだった。凡人には望むべくもないそんな高みに二人はついに届く。
同性だから得られない恋、そして同性だから達し得た愛。
対等で前向きで純粋で永遠の…その恍惚と絶望の二律背反こそが、この眩しいばかりの青春群像の大きな魅力だった。しかもけだるい耽美には流れない、その清しさ!
摩利と新吾、二人の強烈な個性が生き生きと描かれたことで結晶化した宝石のような・・。
私は二人のキャラクターのどちらにも(そして誰もが主役のように鮮やかだった寮生の一人一人にも)惹かれるが、それよりも何よりも、摩利の中で苦しくも煌めくこのジレンマに、胸が震える。たまらなく愛しくて切なくて、思わず涙してしまうのだ。

☆『夢の碑シリーズ』<生と死/光と闇-そして美しい異形->☆
「夢の碑」シリーズ第一話にはガツンと殴られたような思いがした。
狂おしい桜の中で、恋しい男を待ち続けた女が焦がれた再会の瞬間に果たす復讐シーン。
愛してるのに憎い、愛してるから憎い。憎いけど愛してる…そして忍(おに)になった女の心の闇。自らの咽に刃を当てるシーンのその迫力たるや。まるで近松や西鶴の見事な後継者を見るような。
木原さんの作品を読むと「死は生の一部」という山岸凉子さんの言葉を思い出す。
”よく生きること”の延長に死があって、終わりではないむしろ始まりという気がする。
例えば「鵺(ぬえ)」では、人を愛せず鬼に堕ちた秋篠の生まれ変わりと暗示される篠夫が最愛の主理と最期を遂げる。ようやく魂の相手と結ばれるラストで迎えた死ではあった
が、まるでハッピーエンドのような晴れ晴れとした哀しさに満ちていた。
彼らは精一杯生きようとしてその先に逃れられない死があっただけ。
死が二人の生をまっとうさせたような”よく生きようとしてよく死ぬ”という形容矛盾ではあるが、生のための死。これもまた見事に結実した二律背反。逆に妄執に生きたモノは妄執の死を行き、己を知らず驕ったモノ、欲に堕ちたモノ…は
それぞれの闇を生き死にする。

木原作品はまるで太陽のように眩しい。
が、明るく楽しいばかりではない、陽が眩しければ眩しい程、闇も濃くなるように、人の世や心に潜む昏さも木原さんはまっすぐに見つめ目を逸らさない。他人を羨み嫉み嫉む心、欲に醜く歪む心、理不尽なことがまかり通る世…。
木原さんは暖かくも情に満ちた心でその深い闇をも受け止めて描く、それは強くバランスのとれた作者の人間性をいつも読者に感じさせる。だからセリフの一つ一つが生きて心に届くのだろう。表面的で都合のいい言葉ではない、真剣勝負のような。
そんな木原さんが全作品を通してよく描かれるのが美しい異形だ。
誰の目も引き寄せる程の美しい容貌を持ちながら、人の恐れる異世界のモノでもあるという存在-鬼-。
美しいのに醜い、惹きつけるのに忌み嫌われる異形は愛に飢え、救いを求めている。選ばれたモノの持つ超常的な力と、背中合わせにある疎外感。これらは例えば萩尾望都さんの『ポーの一族』におけるエドガーや、山岸凉子さんの『日出処の天子』の厩戸皇子の孤独とも相通ずる。人にあらずという暗闇に生き、恐れられながら眩しい美しさであらゆる人を魅了する、存在自体が内包するアンビバレンツ。

感受性の強い思春期を過ごした身にとっては”自分は他人とは違う”という孤独感と裏腹な”選ばれし者”に対する憧れに覚えがないだろうか?
そして、いわゆる24年組と呼ばれる創作者達が、こうした存在をくり返し描かれたのはなぜだろう?
思春期を過ぎいつしか憧れを諦めに変え、普通であることに安住を見出す多くと違い、類い希なる創作者として生きる作家たちの心情に、共通して流れる「選ばれし者の不安と孤独」のイメージが具現したもの、なのかもしれない。
山岸さんは「翼あるもの」とも呼んだ、選ばれたモノたち。…翼があるものは現実の両腕をもたない、とも。
だからこそ描かずにはいられないのが、ジレンマを抱えた異形たちの物語なのではないか。
彼らが異世界と現実のはざまに生きているというのも然り、である。
一方で現実の両腕で生きる我々は作品の中でだけ、かつて憧れ、しかし手に入ることのない翼を共有するのだろう。
その時、彼らの抱える苦しくも甘美な二律背反は私達のモノであり、陶酔と切なさの中で心をいつも震わせずにはおれないのだ。

☆〜終わりに〜☆
123さんと知り合ったのは3年前くらい?のニフティ会議室だった。
聡明な大人で、パワフルで、情に篤くて、お会いしたことはないのに古くからの友人のような信頼感を感じている。探している本や情報などでもたくさんお世話になってきた。総じて、木原ファンは木原さんの作家性と同じように、強さとしなやかさと情をお持ちの方が多いような気がする。人と人との触れあいがとても暖かい。そんな123さんが開設されている素敵なサイトに、木原作品について何か文章を寄せて欲しいというとても嬉しいお申し出を頂いて、不眠不休で(ウソ)前からこの視点で書いてみたいな、と思っていた切り口で作品を再読し、一気呵成に書き上げてみた。
この文章は簡単に言うと「だから木原さん愛してます、尊敬してます!」というだけなのだけれど、それだと1行なので、小賢しいと思われるかもしれないが、感じるままにまとめさせていただいた。こんな拙文に一文でも共感して頂ける箇所があれば幸いと願う。

蛇足ではあるが
「風恋記」のラストは山岸さんの『日出処の天子』のラストと見事な好対照を成している。
超常力を持つ融明と露近の二人が、二人だけの結びつきをまっとうしながら運命を受け入れる、前向きな諦めとでも言うべき木原さんのラスト。それに対して、同じように超常力を持つ二人の結びつきを、たった一つの愛を飢える皇子の断ち切れない未練の中で引き裂いた山岸さんの生々しいラスト。
また、萩尾さんの『ポーの一族』のエドガーのラストとも好対照だろう。一人再び孤独のなかで時をさまようことになったかもしれないエドガー。死も彷徨もたった一人で進まねばならない、切なくも淡々としたラスト。
同じように「選ばれたモノの孤独」ではありながらのこうした対照は、そのまま作家性の違いでもあり、共通項の中で比較していくのは興味深い作業かもしれない。作家性における、それぞれの美しい異形たちの在り方についての比較と分析。
いつか某所で楽しんで作業してまとめることが出来れば、と思っている。

|

昔書いたお勧め記事(のだめカンタービレ)

色々古いデータの整理などしていたら、オケのサイトに書いて上げていた「のだめカンタービレ」のお勧めコラムを見つけたので上げてみます。コラムの対象はオケに興味のある人でコミックは普段読まないという人向けでした。
(2004年11月当時の内容です↓)

お薦め!クラシックコメディマンガ『のだめカンタービレ』

音楽の出てくる小説やコミックはかなりあるが、私が最近楽しみに読んでいるコミックがこれ、『のだめカンタービレ』。掲載誌は『Kiss』という講談社の女性向けコミック誌。一ヶ月に2回発行。
主人公は野田恵という一見いまどきの女の子で音大生。しかし「のだめ」が愛称の彼女、外見はともかく超変人。可愛い服装をする割には何日もお風呂に入らなくても平気だったり、いわゆる”片付けられない女”なので部屋はゴミ溜めのようにいつも散らかる。ぎゃぼ、などの奇声を発する。かなりな変人だが、ピアノだけは天才的で譜読みは苦手とはいえ、一度聴いた曲はどんな難曲も弾きこなす。
もう一人の主人公は同じ音大の千秋様(なぜか様付けで呼ばれる美青年=絵ではよく分からないが美青年という設定)。
のだめと同じピアノ科に在籍し一つ年上、常に首席の彼は、指揮者を目指しているが、ピアノもバイオリンも相当な腕。音大では実力人気ともにNo.1。本人は実力相応に自信家でもあり、性格は「オレサマ」。音楽に関しては目指すところが高く自分にも他人にも厳しい。
そんな二人が偶然同じマンションの隣人だったところから物語は始まる・・。

さて この作品、基本はラブコメディなのである。なので、普通のイメージはお堅いクラシックを題材にしながらも、全編笑いに満ちている。お笑いでありながら同時に本格的音楽マンガであるというところがこの作品の凄いところ。
作者の友人が実際にピアノ科の音大生だったようで、きちんと取材して描かれているために、音楽シーンはスコアチェックまでされており、随所に出てくる台詞もリアリティがある。
たとえば、ピアノ科首席として千秋がラフマニノフのコンチェルトを弾くことになったことを聞きつけた友人であるバイオリン弾きが大笑いしながら言う、「あのドイツ野郎がフランスモノ~~(笑)」
この場合の”ドイツ野郎”の意味するところは音楽やってる人なら詳しい説明は不要だろう。友人が笑う通り、ある意味堅物でもある千秋が得意なのはドイツモノであり、情緒たっぷりに表現せねばならないフランスモノに予想通りかなりな苦戦。技術力の問題ではないのである。そして、これまた変わり者の世界的指揮者の指導との絡みに大受けしつつ・・・。
苦労して苦労して迎えた本番の演奏シーンは素晴らしく音楽的で、作者が実際に音楽を聴き込んだ上で描いていることが伝わってくる。毎回笑わされつつも演奏シーンでは鳥肌が立つような表現。 音楽をやっていない人、これまでクラシックには興味なかった人にもついついその曲を聴いてみたいと思わせるほどの力がある作品なのだ。
音楽をやってる人は台詞や展開に笑わせられながらも、時に挫折して苦しむ主人公達に共感することも多いはず。作中に出てくるプログラムにはうちのオケで演奏するような曲もよく出てくる。ちょうど先回やったブラームスを作中でやっていた時は作品のシーンから音が聴こえるようだった。しかも、曲のテーマが物語の伏線にも重なっているあたりも凄い。
女性向けコミックということで男性には読みづらいかもしれないが、幸い絵はあまり華美ではない。この作品は今年度の講談社漫画賞というのも受賞しており、作中のプログラムから抜粋して編集されたクラシックCDアルバムもアマゾンドットコムの売れ行きベスト10に一時期入ったほど。
書店でも平積みになっているので、普段コミックなど読まない人でも比較的見つけやすいと思う。興味を覚えた方は是非書店で手にとってみてほしい。

|

偏愛的・坂田靖子 論「鏡像のナルシシズム、更にはグロテスクな楽園」

コロナ禍もあって休日も買い物以外は出かけず、家の片づけにいそしむ日々。
片づけが今度はネットの方に及び出てきた資料をデータに反映させたりなどもしています。
その一環で久々にリンクページを見直したら友人、葉月さんのサイトへのリンクが壊れていたので直しました。
長いこと壊れたままになっていたみたいで大変失礼しました。
その葉月さんのサイトには開設当時自分が天野章生名で寄稿していまして、今より若かったので非常に気張った文章にはなっています。
が、今となっては例によって既に他人のようにも思えるし、こういう文章は今は私は書かないなーとも思うので許可もらって自分のとこにも挙げておきます。ちなみに21年前に書かれているので文章内の年数や情報などその当時の内容であるとご承知おきください。

葉月さんのサイトの方がきれいなレイアウトなのでできればそちらで読んでいただいた方が雰囲気があります。

怪奇と幻想のページWeird Closet
http://weird.d.dooo.jp/
http://weird.d.dooo.jp/sakata.htm

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
偏愛的・坂田靖子 論
「鏡像のナルシシズム、
       更にはグロテスクな楽園」

☆~はじめに~☆

坂田靖子という漫画家のことは少女マンガをお好きな人ならご存じの方も多いだろう。
「バジル氏の優雅な生活」が代表作、と言えば頷く人はさらに増えるかもしれない。
坂田さんは基本的に短編作家である。バジル氏の話も長編シリーズとはいっても、一つ一つの話は単独で読むことが可能なオムニバス式でもあり、ほかのシリーズ作品もほとんどがそうした形。
そしてプロになって25年というベテランにしてその作品数と質の維持たるや・・。
特に『ジュネ』(マガジン・マガジン社)で続けられた4ページ劇場などは4ページという枠の中で、時にシリアスあり、時にシュールなギャグオチあり、とこの作家の自由自在さを十分に知らしめる。
作者によると『ジュネ』では「自由に描いてください」という形だったらしい。
ここのサイトオーナー葉月さんが薦める「サザン・アイランド・ホテル」もそうしたジュネ掲載作の一つである。ラストのどんでん返しでそれまでのふざけた調子ががらっとセクシャルに色を変える。短い中で小気味の良いテンポ感、隠されたエロティシズム、そしてラスト、二人が眺める空に降る雪の余韻・・・洒脱で軽妙な中にもセンスが光る作家なのだ。

☆~鏡像のナルシシズム~【アモンとアスラエール】☆

さて、短編を得意とするその坂田さんが、商業誌に掲載することを目的とせず(雑誌の傾向や編集の意図に左右されずに自由に描きたいという熱意の結晶として)描かれた作品に【アモンとアスラエール】というシリアスな長編がある。
同人誌「ラヴリ」に掲載され(プロデビュー後も)、自費出版としてまとめられた一冊。その後新書館からも出版されたが、坂田作品の中では古くからのファンでないと知名度は低いかもしれない。
この作品はウィリアム・ブレイクの「病める薔薇」の詩で始まる。
 おお薔薇よ 
 おまえは病む!
 ほえるあらしの中
 夜に飛ぶ
 目に見えぬ虫が
 深紅のよろこびの
 おまえの寝床を
 見つけてしまった 
 その暗い秘めた愛が 
 おまえの命を滅ぼしつくす


そしてこの詩が作品の官能的で退廃的な行く末を見事に暗示する。
主人公は、キリストを「超能力者でマゾの私生児」と言い切り、自分の判断力を信じ、何モノにも縛られず自由に生きる学校一の不良であるアモンと、それに対照的にストイックで完璧な優等生として知られるアスラエールの二人。しかし、アスラエールは潔癖のあまり、自らの醜さ弱さに耐えきれず、そこからの逃避でマリファナに手を出していた。
アモンは、ただの優等生だと思っていた彼のそうした一面を知ることで彼に一気に近づく。「チェリオ!愛すべきアスラエールの悪徳に!」と嬉々として言うアモン。他人を容れず、傲慢かつ完璧主義で誇り高いアモンのキャラクターこそ、坂田さんが描きたい情熱を注がれたものだろう。そして、その誇り高さは一見対照的に見えるアスラエールのモノと同一である。そう、両極端の二人は実は同根の一対なのだ。
肉体をモノにして更には、精神的にも追いつめてくるアモンに本気で憎しみを覚えるアスラエール。潔癖を望み、自分の弱さを見つめることの出来ない彼は、実は傲慢で他人を容れることが出来ない究極のナルシストでもある。
アモンはアスラエールに己の鏡像としての半身を見ている。
彼らはよく似ているからこそ一方は欲しがり、一方は拒絶しているのだ。そして、最後に自分を壊してまで拒絶を通したアスラエールに木陰で口づけるアモン。人形同然になったアスラエールだけを、それでも愛着する姿が映画のラストシーンのように描かれる。
欲しくて欲しくてたまらない半身は彼の鏡像であり、鏡に自分が入っていけないように、近づくことが、どちらかが殺されるか殺すか、というぎりぎりの選択まで追いつめ、破壊してしまったのだった。究極のエゴイズム、ナルシシズム、そしてその誇り高い精神性。肉体の交わり以上のエロティシズムがそこにはあった。
入手困難本ではあるが、是非、読んで貰いたい作品である。
尚、この作品は佐藤史生さんの【天使の繭】(『阿呆船』新書館・所収)と比較して読むのもまた面白いかもしれない。

☆~グロテスクな楽園~【花模様の迷路】【孔雀の庭】☆

新書館の『グレープフルーツ』に掲載された作品は、数ある坂田作品の中でも質の高いシリアスであった。中で2作品をご紹介したい。
●【花模様の迷路】(『花模様の迷路』新書館版/ハヤカワ文庫版・所収)●
旅先で内紛に巻き込まれ両親を殺され、ジャングルを逃げまどった幼い日の記憶がトラウマで残るパトリック。貴族である叔父夫婦に引き取られ、大きな屋敷の中で温和で無欲な甥として暮らす彼は、しかし、迷路のある大きな庭の奥で様々な背徳の想いに耽っている。
「パラダイスというのはもともとペルシャ語で”閉ざされた庭”を指す言葉だったんですよ」
彫刻の買い付けにきた美術商・マクグラン(シリーズの主人公)にそう説明する彼が庭の中に隠す、欺瞞や背徳の想い。静謐で美しく整えられた庭の中で醜い自らの想いだけが膨らんでいく・・。閉ざされた庭<楽園>の中で、血の匂いのする悪夢に脅える彼の想いが第三者・マクグランの侵入によって隠しおおせず溢れ出した時、初めて彼は楽園を後にし、悪夢に脅えることから解放されたのだった。

●【孔雀の庭】(『パエトーン』新書館版/ハヤカワ文庫版・所収)●
孔雀が何羽も放された素晴らしい庭をもつ広大な屋敷。貴族・アルフレードは病院長であった祖父から”爵位と庭と貴族らしい生き方”を継いだ、とマクグランに言う。維持費も大変な屋敷で何人もの召使いを使いながら、財産を切り売りするやり方に、苛つきを覚えるマクグランだったが、その庭に隠された秘密が徐々に明らかになっていく。
病院長であった祖父が過去に起こした明らかなあやまち。隠された死体と過失。アルフレードの母もまた、彼の出生の秘密を隠したまま気狂いになって、屋敷の地下道を亡霊のように彷徨う。それら全てを隠しおおしたまま、家の尊厳を保ったまま、最後まで看取れ、というのが祖父が彼に託した願いだった。
彼は祖父の誇りの為に、秘密のまま家を埋葬することの為に選ばれた”贄”だったのだ。贅を尽くし、夢のように美しい庭の中で、絢爛たる牢獄につながれるような想いで、その願いを果たそうとするアルフレード。彼にとって唯一愛情を感じる相手であった叔父もまた、皮肉な死を遂げる・・。
(祖父がなぜ息子ではなく孫を”贄”に選んだか、そこには近親相姦の背徳の匂いも隠されている。)
現実離れした”煌めく王宮”としての美しくもグロテスクな楽園、それがアルフレードが縛られている”孔雀の庭”だった。
そのイメージの確かさが見事に描き切られた後、ラストのマクグランのセリフが、退廃に落ちない坂田さんならではの救いを演出する。

庭=楽園に込められた、数々の豊富なイメージを駆使して描かれた秀作二編をご紹介した。
小道具として使われるガレのガラス工芸が持つエロス、空中庭園の幻想的なイメージ、さりげなく描かれるイギリス式庭園の様式・・など、この作者のもつ幅の広いバックグラウンドが窺えることと思う。
幻想と怪奇を愛するこちらのサイトへの訪問者にお勧めする作品である。

☆~おわりに~☆

私は坂田靖子という漫画家をこよなく偏愛している。
当サイトの葉月さんともその坂田靖子ファン、というキーでニフティで知り合ってかれこれ4年くらいだろうか。
坂田ファンというのは作家自身の趣味の幅広さゆえか、実に多様多彩で、葉月さんの趣味もまた深くマニアックで、興味が尽きない。ここはその趣味のよく表現された、美しいサイトだと思うし、これからの発展も楽しみである。
坂田さんについて書いてみて、という依頼を頂いて、嬉々として書かせて頂いたのはいいのだが、かなりネタばれでの作品紹介となり、心苦しい。しかも入手困難本だったりして。(後半の2作品はまだハヤカワ文庫で入手しやすいかもしれない。)
まだまだお薦めしたい作品はたくさんあるので、坂田靖子という漫画家に興味を持って頂ければ、偏愛的・坂田靖子ファンとしては幸いと願う次第である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

**今回日記に挙げるための付記**
以上、この当時付き合いが4年とか言っていますが、そこからすでに十数年w 
かれこれ20年以上のお付き合い。
遠方なのでたまのメール、たまの郵便、最近はzoomですが
今もやり取り続いていて本当に長いお付き合いになっています。
ありがたいことです!!

|

«戦場のメリークリスマス