【琴線のアンビバレンツ -そして美しい異形-】(私的・木原敏江論)

これもデータを整理していたら出てきたので挙げておきます。
昔、木原敏江さんのデータを挙げておられたサイトオーナーから依頼されて寄稿していたのですが、そのサイトは気がつくともう閉められていました。すごく綺麗にレイアウトもしていただいていたのですが。
あらら、寄稿した文章保存しておかなかったなーと思って、まあいいけど、と探しもしなかったのですが、昔使ってたPCのハードディスクを取り出して夫がそのまま保存してくれてたもんで今回中身はなんじゃろかい?と見てみたらその中に入ってました。
まあ若書きというか、なんかこれも気張ってますがwこの頃はポーが再開されるとか思ってなかったな〜
1998年頃に書いた文章ということでご承知おきくださいませ。

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【琴線のアンビバレンツ -そして美しい異形-】
      (私的・木原敏江論)天野章生

☆〜はじめに〜☆
以前知人達とのやりとりの中で、好きな作品やキャラクターのツボは何か(どういう点に特に心惹かれるかを一口に言うと)というやりとりをしていて、私はしばし考えて、自分にとってのツボは「アンビバレンツ(二律背反)」だと答えたことがあった。
矛盾を一つに内包する時、両極に引き裂かれながらの苦しさやるせなさに色気を感じ、琴線が思いっきり触れるらしい。
そして木原さんの世界は私にとって、このツボに溢れている。
大変に私的ではあるが、大好きな木原さんの作品についてこの視点からまとめてみたい。

☆『摩利と新吾』<恍惚と絶望>☆
木原さんの代表作の一つであるこの作品は、摩利と新吾を中心にした青年達の成長物語であり、ピュアな愛の成就ともいうべき一大巨編だ。
新吾への恋を自覚してからの摩利の葛藤、登場当初は被庇護者に見えた新吾の人間としての大きな成長を通して、二人は誰にも代え難い魂の結びつきを果たす。
肉欲をも意識した摩利にとって、ピュアであり続ける永遠の結びつきは甘やかな陶酔を得ると同時に、絶対に手に入らない恋に対する絶望にも堕ちるものだ。
最高のモノを手に入れているのに、それ以上望むべくもないのに、やはり欲しいそのひとつは決して手に入らない。誰もが賞賛する美しい容姿も明晰な頭脳も恵まれた才能も、その前にあって本人にとっては価値がないも同然。
なんでもあるのに欲しいモノだけは手に入らない、これは摩利が自分に似ていると感じた篝(かがり)の絶望でもあった。
健康な二人は決して同性愛を否定していないし嫌悪もしていない、しかし二人の愛は同性愛を超えたところにある至上のモノだった。凡人には望むべくもないそんな高みに二人はついに届く。
同性だから得られない恋、そして同性だから達し得た愛。
対等で前向きで純粋で永遠の…その恍惚と絶望の二律背反こそが、この眩しいばかりの青春群像の大きな魅力だった。しかもけだるい耽美には流れない、その清しさ!
摩利と新吾、二人の強烈な個性が生き生きと描かれたことで結晶化した宝石のような・・。
私は二人のキャラクターのどちらにも(そして誰もが主役のように鮮やかだった寮生の一人一人にも)惹かれるが、それよりも何よりも、摩利の中で苦しくも煌めくこのジレンマに、胸が震える。たまらなく愛しくて切なくて、思わず涙してしまうのだ。

☆『夢の碑シリーズ』<生と死/光と闇-そして美しい異形->☆
「夢の碑」シリーズ第一話にはガツンと殴られたような思いがした。
狂おしい桜の中で、恋しい男を待ち続けた女が焦がれた再会の瞬間に果たす復讐シーン。
愛してるのに憎い、愛してるから憎い。憎いけど愛してる…そして忍(おに)になった女の心の闇。自らの咽に刃を当てるシーンのその迫力たるや。まるで近松や西鶴の見事な後継者を見るような。
木原さんの作品を読むと「死は生の一部」という山岸凉子さんの言葉を思い出す。
”よく生きること”の延長に死があって、終わりではないむしろ始まりという気がする。
例えば「鵺(ぬえ)」では、人を愛せず鬼に堕ちた秋篠の生まれ変わりと暗示される篠夫が最愛の主理と最期を遂げる。ようやく魂の相手と結ばれるラストで迎えた死ではあった
が、まるでハッピーエンドのような晴れ晴れとした哀しさに満ちていた。
彼らは精一杯生きようとしてその先に逃れられない死があっただけ。
死が二人の生をまっとうさせたような”よく生きようとしてよく死ぬ”という形容矛盾ではあるが、生のための死。これもまた見事に結実した二律背反。逆に妄執に生きたモノは妄執の死を行き、己を知らず驕ったモノ、欲に堕ちたモノ…は
それぞれの闇を生き死にする。

木原作品はまるで太陽のように眩しい。
が、明るく楽しいばかりではない、陽が眩しければ眩しい程、闇も濃くなるように、人の世や心に潜む昏さも木原さんはまっすぐに見つめ目を逸らさない。他人を羨み嫉み嫉む心、欲に醜く歪む心、理不尽なことがまかり通る世…。
木原さんは暖かくも情に満ちた心でその深い闇をも受け止めて描く、それは強くバランスのとれた作者の人間性をいつも読者に感じさせる。だからセリフの一つ一つが生きて心に届くのだろう。表面的で都合のいい言葉ではない、真剣勝負のような。
そんな木原さんが全作品を通してよく描かれるのが美しい異形だ。
誰の目も引き寄せる程の美しい容貌を持ちながら、人の恐れる異世界のモノでもあるという存在-鬼-。
美しいのに醜い、惹きつけるのに忌み嫌われる異形は愛に飢え、救いを求めている。選ばれたモノの持つ超常的な力と、背中合わせにある疎外感。これらは例えば萩尾望都さんの『ポーの一族』におけるエドガーや、山岸凉子さんの『日出処の天子』の厩戸皇子の孤独とも相通ずる。人にあらずという暗闇に生き、恐れられながら眩しい美しさであらゆる人を魅了する、存在自体が内包するアンビバレンツ。

感受性の強い思春期を過ごした身にとっては”自分は他人とは違う”という孤独感と裏腹な”選ばれし者”に対する憧れに覚えがないだろうか?
そして、いわゆる24年組と呼ばれる創作者達が、こうした存在をくり返し描かれたのはなぜだろう?
思春期を過ぎいつしか憧れを諦めに変え、普通であることに安住を見出す多くと違い、類い希なる創作者として生きる作家たちの心情に、共通して流れる「選ばれし者の不安と孤独」のイメージが具現したもの、なのかもしれない。
山岸さんは「翼あるもの」とも呼んだ、選ばれたモノたち。…翼があるものは現実の両腕をもたない、とも。
だからこそ描かずにはいられないのが、ジレンマを抱えた異形たちの物語なのではないか。
彼らが異世界と現実のはざまに生きているというのも然り、である。
一方で現実の両腕で生きる我々は作品の中でだけ、かつて憧れ、しかし手に入ることのない翼を共有するのだろう。
その時、彼らの抱える苦しくも甘美な二律背反は私達のモノであり、陶酔と切なさの中で心をいつも震わせずにはおれないのだ。

☆〜終わりに〜☆
123さんと知り合ったのは3年前くらい?のニフティ会議室だった。
聡明な大人で、パワフルで、情に篤くて、お会いしたことはないのに古くからの友人のような信頼感を感じている。探している本や情報などでもたくさんお世話になってきた。総じて、木原ファンは木原さんの作家性と同じように、強さとしなやかさと情をお持ちの方が多いような気がする。人と人との触れあいがとても暖かい。そんな123さんが開設されている素敵なサイトに、木原作品について何か文章を寄せて欲しいというとても嬉しいお申し出を頂いて、不眠不休で(ウソ)前からこの視点で書いてみたいな、と思っていた切り口で作品を再読し、一気呵成に書き上げてみた。
この文章は簡単に言うと「だから木原さん愛してます、尊敬してます!」というだけなのだけれど、それだと1行なので、小賢しいと思われるかもしれないが、感じるままにまとめさせていただいた。こんな拙文に一文でも共感して頂ける箇所があれば幸いと願う。

蛇足ではあるが
「風恋記」のラストは山岸さんの『日出処の天子』のラストと見事な好対照を成している。
超常力を持つ融明と露近の二人が、二人だけの結びつきをまっとうしながら運命を受け入れる、前向きな諦めとでも言うべき木原さんのラスト。それに対して、同じように超常力を持つ二人の結びつきを、たった一つの愛を飢える皇子の断ち切れない未練の中で引き裂いた山岸さんの生々しいラスト。
また、萩尾さんの『ポーの一族』のエドガーのラストとも好対照だろう。一人再び孤独のなかで時をさまようことになったかもしれないエドガー。死も彷徨もたった一人で進まねばならない、切なくも淡々としたラスト。
同じように「選ばれたモノの孤独」ではありながらのこうした対照は、そのまま作家性の違いでもあり、共通項の中で比較していくのは興味深い作業かもしれない。作家性における、それぞれの美しい異形たちの在り方についての比較と分析。
いつか某所で楽しんで作業してまとめることが出来れば、と思っている。

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昔書いたお勧め記事(のだめカンタービレ)

色々古いデータの整理などしていたら、オケのサイトに書いて上げていた「のだめカンタービレ」のお勧めコラムを見つけたので上げてみます。コラムの対象はオケに興味のある人でコミックは普段読まないという人向けでした。
(2004年11月当時の内容です↓)

お薦め!クラシックコメディマンガ『のだめカンタービレ』

音楽の出てくる小説やコミックはかなりあるが、私が最近楽しみに読んでいるコミックがこれ、『のだめカンタービレ』。掲載誌は『Kiss』という講談社の女性向けコミック誌。一ヶ月に2回発行。
主人公は野田恵という一見いまどきの女の子で音大生。しかし「のだめ」が愛称の彼女、外見はともかく超変人。可愛い服装をする割には何日もお風呂に入らなくても平気だったり、いわゆる”片付けられない女”なので部屋はゴミ溜めのようにいつも散らかる。ぎゃぼ、などの奇声を発する。かなりな変人だが、ピアノだけは天才的で譜読みは苦手とはいえ、一度聴いた曲はどんな難曲も弾きこなす。
もう一人の主人公は同じ音大の千秋様(なぜか様付けで呼ばれる美青年=絵ではよく分からないが美青年という設定)。
のだめと同じピアノ科に在籍し一つ年上、常に首席の彼は、指揮者を目指しているが、ピアノもバイオリンも相当な腕。音大では実力人気ともにNo.1。本人は実力相応に自信家でもあり、性格は「オレサマ」。音楽に関しては目指すところが高く自分にも他人にも厳しい。
そんな二人が偶然同じマンションの隣人だったところから物語は始まる・・。

さて この作品、基本はラブコメディなのである。なので、普通のイメージはお堅いクラシックを題材にしながらも、全編笑いに満ちている。お笑いでありながら同時に本格的音楽マンガであるというところがこの作品の凄いところ。
作者の友人が実際にピアノ科の音大生だったようで、きちんと取材して描かれているために、音楽シーンはスコアチェックまでされており、随所に出てくる台詞もリアリティがある。
たとえば、ピアノ科首席として千秋がラフマニノフのコンチェルトを弾くことになったことを聞きつけた友人であるバイオリン弾きが大笑いしながら言う、「あのドイツ野郎がフランスモノ~~(笑)」
この場合の”ドイツ野郎”の意味するところは音楽やってる人なら詳しい説明は不要だろう。友人が笑う通り、ある意味堅物でもある千秋が得意なのはドイツモノであり、情緒たっぷりに表現せねばならないフランスモノに予想通りかなりな苦戦。技術力の問題ではないのである。そして、これまた変わり者の世界的指揮者の指導との絡みに大受けしつつ・・・。
苦労して苦労して迎えた本番の演奏シーンは素晴らしく音楽的で、作者が実際に音楽を聴き込んだ上で描いていることが伝わってくる。毎回笑わされつつも演奏シーンでは鳥肌が立つような表現。 音楽をやっていない人、これまでクラシックには興味なかった人にもついついその曲を聴いてみたいと思わせるほどの力がある作品なのだ。
音楽をやってる人は台詞や展開に笑わせられながらも、時に挫折して苦しむ主人公達に共感することも多いはず。作中に出てくるプログラムにはうちのオケで演奏するような曲もよく出てくる。ちょうど先回やったブラームスを作中でやっていた時は作品のシーンから音が聴こえるようだった。しかも、曲のテーマが物語の伏線にも重なっているあたりも凄い。
女性向けコミックということで男性には読みづらいかもしれないが、幸い絵はあまり華美ではない。この作品は今年度の講談社漫画賞というのも受賞しており、作中のプログラムから抜粋して編集されたクラシックCDアルバムもアマゾンドットコムの売れ行きベスト10に一時期入ったほど。
書店でも平積みになっているので、普段コミックなど読まない人でも比較的見つけやすいと思う。興味を覚えた方は是非書店で手にとってみてほしい。

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偏愛的・坂田靖子 論「鏡像のナルシシズム、更にはグロテスクな楽園」

コロナ禍もあって休日も買い物以外は出かけず、家の片づけにいそしむ日々。
片づけが今度はネットの方に及び出てきた資料をデータに反映させたりなどもしています。
その一環で久々にリンクページを見直したら友人、葉月さんのサイトへのリンクが壊れていたので直しました。
長いこと壊れたままになっていたみたいで大変失礼しました。
その葉月さんのサイトには開設当時自分が天野章生名で寄稿していまして、今より若かったので非常に気張った文章にはなっています。
が、今となっては例によって既に他人のようにも思えるし、こういう文章は今は私は書かないなーとも思うので許可もらって自分のとこにも挙げておきます。ちなみに21年前に書かれているので文章内の年数や情報などその当時の内容であるとご承知おきください。

葉月さんのサイトの方がきれいなレイアウトなのでできればそちらで読んでいただいた方が雰囲気があります。

怪奇と幻想のページWeird Closet
http://weird.d.dooo.jp/
http://weird.d.dooo.jp/sakata.htm

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偏愛的・坂田靖子 論
「鏡像のナルシシズム、
       更にはグロテスクな楽園」

☆~はじめに~☆

坂田靖子という漫画家のことは少女マンガをお好きな人ならご存じの方も多いだろう。
「バジル氏の優雅な生活」が代表作、と言えば頷く人はさらに増えるかもしれない。
坂田さんは基本的に短編作家である。バジル氏の話も長編シリーズとはいっても、一つ一つの話は単独で読むことが可能なオムニバス式でもあり、ほかのシリーズ作品もほとんどがそうした形。
そしてプロになって25年というベテランにしてその作品数と質の維持たるや・・。
特に『ジュネ』(マガジン・マガジン社)で続けられた4ページ劇場などは4ページという枠の中で、時にシリアスあり、時にシュールなギャグオチあり、とこの作家の自由自在さを十分に知らしめる。
作者によると『ジュネ』では「自由に描いてください」という形だったらしい。
ここのサイトオーナー葉月さんが薦める「サザン・アイランド・ホテル」もそうしたジュネ掲載作の一つである。ラストのどんでん返しでそれまでのふざけた調子ががらっとセクシャルに色を変える。短い中で小気味の良いテンポ感、隠されたエロティシズム、そしてラスト、二人が眺める空に降る雪の余韻・・・洒脱で軽妙な中にもセンスが光る作家なのだ。

☆~鏡像のナルシシズム~【アモンとアスラエール】☆

さて、短編を得意とするその坂田さんが、商業誌に掲載することを目的とせず(雑誌の傾向や編集の意図に左右されずに自由に描きたいという熱意の結晶として)描かれた作品に【アモンとアスラエール】というシリアスな長編がある。
同人誌「ラヴリ」に掲載され(プロデビュー後も)、自費出版としてまとめられた一冊。その後新書館からも出版されたが、坂田作品の中では古くからのファンでないと知名度は低いかもしれない。
この作品はウィリアム・ブレイクの「病める薔薇」の詩で始まる。
 おお薔薇よ 
 おまえは病む!
 ほえるあらしの中
 夜に飛ぶ
 目に見えぬ虫が
 深紅のよろこびの
 おまえの寝床を
 見つけてしまった 
 その暗い秘めた愛が 
 おまえの命を滅ぼしつくす


そしてこの詩が作品の官能的で退廃的な行く末を見事に暗示する。
主人公は、キリストを「超能力者でマゾの私生児」と言い切り、自分の判断力を信じ、何モノにも縛られず自由に生きる学校一の不良であるアモンと、それに対照的にストイックで完璧な優等生として知られるアスラエールの二人。しかし、アスラエールは潔癖のあまり、自らの醜さ弱さに耐えきれず、そこからの逃避でマリファナに手を出していた。
アモンは、ただの優等生だと思っていた彼のそうした一面を知ることで彼に一気に近づく。「チェリオ!愛すべきアスラエールの悪徳に!」と嬉々として言うアモン。他人を容れず、傲慢かつ完璧主義で誇り高いアモンのキャラクターこそ、坂田さんが描きたい情熱を注がれたものだろう。そして、その誇り高さは一見対照的に見えるアスラエールのモノと同一である。そう、両極端の二人は実は同根の一対なのだ。
肉体をモノにして更には、精神的にも追いつめてくるアモンに本気で憎しみを覚えるアスラエール。潔癖を望み、自分の弱さを見つめることの出来ない彼は、実は傲慢で他人を容れることが出来ない究極のナルシストでもある。
アモンはアスラエールに己の鏡像としての半身を見ている。
彼らはよく似ているからこそ一方は欲しがり、一方は拒絶しているのだ。そして、最後に自分を壊してまで拒絶を通したアスラエールに木陰で口づけるアモン。人形同然になったアスラエールだけを、それでも愛着する姿が映画のラストシーンのように描かれる。
欲しくて欲しくてたまらない半身は彼の鏡像であり、鏡に自分が入っていけないように、近づくことが、どちらかが殺されるか殺すか、というぎりぎりの選択まで追いつめ、破壊してしまったのだった。究極のエゴイズム、ナルシシズム、そしてその誇り高い精神性。肉体の交わり以上のエロティシズムがそこにはあった。
入手困難本ではあるが、是非、読んで貰いたい作品である。
尚、この作品は佐藤史生さんの【天使の繭】(『阿呆船』新書館・所収)と比較して読むのもまた面白いかもしれない。

☆~グロテスクな楽園~【花模様の迷路】【孔雀の庭】☆

新書館の『グレープフルーツ』に掲載された作品は、数ある坂田作品の中でも質の高いシリアスであった。中で2作品をご紹介したい。
●【花模様の迷路】(『花模様の迷路』新書館版/ハヤカワ文庫版・所収)●
旅先で内紛に巻き込まれ両親を殺され、ジャングルを逃げまどった幼い日の記憶がトラウマで残るパトリック。貴族である叔父夫婦に引き取られ、大きな屋敷の中で温和で無欲な甥として暮らす彼は、しかし、迷路のある大きな庭の奥で様々な背徳の想いに耽っている。
「パラダイスというのはもともとペルシャ語で”閉ざされた庭”を指す言葉だったんですよ」
彫刻の買い付けにきた美術商・マクグラン(シリーズの主人公)にそう説明する彼が庭の中に隠す、欺瞞や背徳の想い。静謐で美しく整えられた庭の中で醜い自らの想いだけが膨らんでいく・・。閉ざされた庭<楽園>の中で、血の匂いのする悪夢に脅える彼の想いが第三者・マクグランの侵入によって隠しおおせず溢れ出した時、初めて彼は楽園を後にし、悪夢に脅えることから解放されたのだった。

●【孔雀の庭】(『パエトーン』新書館版/ハヤカワ文庫版・所収)●
孔雀が何羽も放された素晴らしい庭をもつ広大な屋敷。貴族・アルフレードは病院長であった祖父から”爵位と庭と貴族らしい生き方”を継いだ、とマクグランに言う。維持費も大変な屋敷で何人もの召使いを使いながら、財産を切り売りするやり方に、苛つきを覚えるマクグランだったが、その庭に隠された秘密が徐々に明らかになっていく。
病院長であった祖父が過去に起こした明らかなあやまち。隠された死体と過失。アルフレードの母もまた、彼の出生の秘密を隠したまま気狂いになって、屋敷の地下道を亡霊のように彷徨う。それら全てを隠しおおしたまま、家の尊厳を保ったまま、最後まで看取れ、というのが祖父が彼に託した願いだった。
彼は祖父の誇りの為に、秘密のまま家を埋葬することの為に選ばれた”贄”だったのだ。贅を尽くし、夢のように美しい庭の中で、絢爛たる牢獄につながれるような想いで、その願いを果たそうとするアルフレード。彼にとって唯一愛情を感じる相手であった叔父もまた、皮肉な死を遂げる・・。
(祖父がなぜ息子ではなく孫を”贄”に選んだか、そこには近親相姦の背徳の匂いも隠されている。)
現実離れした”煌めく王宮”としての美しくもグロテスクな楽園、それがアルフレードが縛られている”孔雀の庭”だった。
そのイメージの確かさが見事に描き切られた後、ラストのマクグランのセリフが、退廃に落ちない坂田さんならではの救いを演出する。

庭=楽園に込められた、数々の豊富なイメージを駆使して描かれた秀作二編をご紹介した。
小道具として使われるガレのガラス工芸が持つエロス、空中庭園の幻想的なイメージ、さりげなく描かれるイギリス式庭園の様式・・など、この作者のもつ幅の広いバックグラウンドが窺えることと思う。
幻想と怪奇を愛するこちらのサイトへの訪問者にお勧めする作品である。

☆~おわりに~☆

私は坂田靖子という漫画家をこよなく偏愛している。
当サイトの葉月さんともその坂田靖子ファン、というキーでニフティで知り合ってかれこれ4年くらいだろうか。
坂田ファンというのは作家自身の趣味の幅広さゆえか、実に多様多彩で、葉月さんの趣味もまた深くマニアックで、興味が尽きない。ここはその趣味のよく表現された、美しいサイトだと思うし、これからの発展も楽しみである。
坂田さんについて書いてみて、という依頼を頂いて、嬉々として書かせて頂いたのはいいのだが、かなりネタばれでの作品紹介となり、心苦しい。しかも入手困難本だったりして。(後半の2作品はまだハヤカワ文庫で入手しやすいかもしれない。)
まだまだお薦めしたい作品はたくさんあるので、坂田靖子という漫画家に興味を持って頂ければ、偏愛的・坂田靖子ファンとしては幸いと願う次第である。
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**今回日記に挙げるための付記**
以上、この当時付き合いが4年とか言っていますが、そこからすでに十数年w 
かれこれ20年以上のお付き合い。
遠方なのでたまのメール、たまの郵便、最近はzoomですが
今もやり取り続いていて本当に長いお付き合いになっています。
ありがたいことです!!

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戦場のメリークリスマス

学生時代 YMO、坂本龍一が大好きで
散開コンサートは武道館に二度行きました。
その時のも出てきました。
戦場のメリークリスマスも映画館行ったよなあ。。

今回出てきたのは何度も片付けの中で捨てられなかったものどもで
今回も結局仕舞い直されましたとさw

片付けると今までの思い出の洗い直しみたい。
楽しい。

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映画パンフ3

夫と出かけた「ベルリン天使の詩」すっごくいい映画なのに仕事で疲れていたのか横でぐうぐう寝てしまった夫に構わず一人で堪能。
その後テレビで放映された時、夫が観てこんないい映画だったのになぜ起こしてくれなかったのかと文句ぶうぶうだった。
そんなこと言われてもねー。

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映画パンフ2

大学時代にマニアックな友人達とわざわざ行った寺山修司の実験映画なども。
「砂の惑星」は映像化が難しい原作を読んでいたので、よくできてるなーと感心。

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映画パンフ

元々出不精なのでコロナ禍で出かけられなくても全然平気で最近嬉々として片付けにいそしんでいます。
映画パンフが出てきて懐かしいこと。
ヴィートリヒ2世は高校の時に友人とわざわざ出かけてみました。
ピクニックアットハンギングザロックは社会人になってからだったかな。
美少女達が謎の失踪を遂げる話ですが最後までミステリアスで美しかった。
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映画・テレビ |

2005年増山のりえさん企画のお店の話

増山さんがご自身につながりの深い漫画家さんに声を掛けてグッズ販売の店舗を期間限定で主催されたことがありました。
店は吉祥寺の小さい店を一時借りた感じだったのじゃないかと。ちょっと詳細の記録が見当たらず;

竹宮惠子さんもポストカード等出されていたし、他に佐藤史生さん、坂田靖子さん、森脇真末味さん、湯田伸子さんなどが参加されていて、サインイラスト入りグッズやポストカード色紙等々販売。
当時、増山さんがサイトも開設しておられグッズの紹介写真ページなどがありました。
私は坂田さんからお知らせを貰って友人を誘って行ったんでした。
(企画ファイナルが2005年7月21日から31日までという期間限定で私はその最終企画の7月に行った記録がありました。)
当時は写真はさくっと上げるのが面倒で日記に上げてなかったです。
私が行った時は増山さんご本人がいらして坂田さんの絵の解説を少しして下さったり、在りし日の湯田伸子さんもいらしてポストカードのこの本をいっぱい積んでる絵の感じが好きだったので、「この絵好きです~頑張って下さいー」とかなんとか言ったら、ちょっと微妙な表情をされたのが印象的でした。

一番の収穫は当時まったくお仕事情報として知らなかった坂田さんの小学6年生に連載された小説の挿絵の全カット集で、その後データにも挙げました。

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年上の人

高校生の頃、ある詩の会に入っていて、詩人の人が主宰してて主に児童向けだったのだけど誌面で指導してくれるという会でした。
私が在籍してた頃高校生大学生も増えてたような感じ。
優秀作はカラーでイラストがついて大きく掲載されて、皆そこを目指す感じでした。
私もたまに大きく載るようになった頃、二十代と思しき女性のOさんが優秀作を立て続けに掲載され、その詩が素晴らしくて
ひゃあ、かっこいい〜!!!
と思っていたらなぜかそのOさんから会を通してお手紙を頂いたのでした。
私の詩が気に入ったというのですね。
お会いしたこともないのに密かに憧れた年上の人w
そんな人からファンレターっぽいのをいただいて、舞い上がること。
2、3回やりとりしてその後は私も大学進学などもあって退会して、自然にフェードアウトしちゃったけども。
(学生の頃はその会で頭角をあらわしていた二人のYさんが主宰する詩誌に誘われてそっちに書いたり、別の方にも寄稿頼まれて書いたりしてました。
先日ちらっと書いたけど、その中でYさんはその後ちゃんと現代詩人として二冊ほど詩集出されていました。)

閑話休題
Oさんの記載誌は保管してなくて雰囲気しか覚えていないのだけど、華麗に登場された最初の詩の中に北上川というのが入っていて
ちょうど今やってる朝ドラの舞台に北上川出てくるもんで、ああ、Oさんお元気だろうか、なんてねー。
イメージだけですが知的美人(妄想)年上の人に胸キュンだった我ながら呆れるほどピュアな文学少女時代が思い出されて、朝からきゅんとしてしまいましたw

Yさんらの詩誌は保管してたんだけど、進学時に中高で参加してた方の詩誌は処分しちゃったんだよねえ。
当時の詩誌で、私は詩人の評価からすればさほど優秀でもなかったんだけど、他にも年上の大学生の人からも手紙貰って文通してみたり
年下の女子からもお手紙もらったりしてたので、同人にはなんでかそこそこ人気あったのかもしれない、今思うと。
文通してた男性とは大学生の時に一度直接会ったりして。その後北海道で臨床検査技師になったと聞きました。
個性的な人で、当時漫画家のy野k子さんにファンレター出して文通みたいにやりとりしてるとかもあって頭の良い面白い人でした。
お元気かなー。

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「ベル デアボリカ」の頃に

坂田靖子さんが同人誌で「ベル デアボリカ」を描かれた頃、作品を読んで勢いにまかせて書いちゃったのが今回の整理で出てきて
ものすごく時間経ってるともはや他人が書いたもののような感じで小っ恥ずかしさも半分くらいなのでこの際上げとくかーと。
アクセスも少ないから気も楽というもの。

無題です。

  塔には魔法使いがいる
  銀の髪と透ける肌
  風を読み 竜を召喚する
  地上を見下ろす時
  命は掌中にある
  すべては彼の意のままに

  自らの心だけが
  彼を惑わす
  初めての熱が温みが
  彼を悩ます
  彼はその名を知らず
  その前には非力な赤子のよう…。

  誇り高い剣が
  鬼神のごとく閃き
  高みに二つの想いが昇りつく

  そして塔に影が重なる

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当時はどうにか作品紹介でかっこいい動画的なものを作れないか、その煽りみたいなものを考えたりしてたのですが
なんせスキルもないし、、、妄想のままで終わりましたねー。
今となっては坂田先生ご自身の努力の賜物で商業出版でコミックス出たし本当に感謝でした。

『のちの物語』が未完なのでどうにか出ないものかなーと長年待ってるのと
web掲載だった「jeff」が全くの未完で勿体なさすぎるのでどうにかならんのか〜ーと
どこかで連載していただけないでしょうか!!

って坂田先生の頭には続きがびっちりあるんであとは描くだけのはず!!

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