昨日はtwitterで知った情報から早々と申し込んでおいた下記イベントに行ってきました。
「美内すずえと少女マンガを語ろう!」
http://cul.7cn.co.jp/programs/program_585960.html
上記より引用します
≫第1日曜 14:00~15:30
開催日 5/6
講師 白泉社 別マ,花とゆめ,LaLa元編集長 小長井信昌
ゲスト 漫画家 美内すずえ
備考 講座終了後、講師の著作本の販売とサイン会を行います。(約1時間の予定です)
講師の著書「わたしの少女マンガ史」をご持参の方にはサインいたします。講師の著作本には、小長井信昌と美内すずえ両名がサインいたします。
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白泉社の元社長であり、「花とゆめ」「LaLa」の元編集長である小長井信昌氏の著書わたしの少女マンガ史―別マから花ゆめ、LaLaへ
の内容を元に、小長井信昌氏と美内すずえ先生との対談という企画でした。
私は15分くらい前に会場に着いたのですが、ネットで申込みしたせいか着いて受講の確認をしたらすぐ中に入っていい状態になっていたので席も選び放題v小長井氏の右手前にあたる一番前の席に。ここはお二人の顔もよく見えて本当にいい席でした!
時間より早めに席に着いて資料等を用意される小長井氏、対して美内先生はまだお見えになってない様子。でも時間ちょうどにお着きになられました。
だもんで最初の小長井氏のご挨拶では「原稿はいつも遅れるが必ず間に合うというのを今回も如実に示した」とおっしゃってましたw
今回の対談では著書の中にも書かれている話も紹介されながら、美内先生との話が中心、やはり「ガラスの仮面」に関する話が主でした。
以下、主だった話をまとめます。録音等しておりませんので手元のメモのみが頼り、聞き取り違いや理解違いなどあるやもしれません。ご承知おきの上でお読みください。
あと、著書に書かれてる内容は細かく触れません、この本は素晴らしく面白いのでこの対談に興味のある向きは是非一冊お求めになってお読みになることをお薦めします!
■現在の「ガラスの仮面」
最新刊48巻が出てさらに「別冊花とゆめ4月号」でその続きが掲載されたところ。
小長井氏(以下敬称略)「50巻で終わるってことはないよね?」
美内先生(以下敬称略)「ないです」(きっぱり!)
小長井「日経新聞何でもランキング2011年12月3日掲載「最終回を読みたいマンガ」の第一位に「ガラスの仮面」二位の「名探偵コナン」の倍以上大きく引き離す票を獲得していた。
このランキングは少女マンガに限らず少年、青年マンガも含めた総合的なランキングだったのにも関わらず、断トツの一位。いかに支持層の幅が広く、愛されているかということを証明した結果である。」
美内「ありがとうございます。連載始めて35年超えているので、10歳くらいで読み始めた人はサイン会では子供連れでいらっしゃる。長いこと愛読してもらって感謝している。その内お孫さん連れて…(笑)」
小長井「自分の孫も読んでいる、幸い役得で白泉社から毎号本が送られてくる(笑)」
小長井「他にも『ダ・ヴィンチ』2010年の年代別の好きな少女マンガランキングでアラフォー世代の№1だった。
『ダ・ヴィンチ』(??年)では美内さんのインタビューが掲載されたが、その際今後の少女マンガについて聞かれた美内さんは、”少女マンガはこの先世界的に広がっていくだろう。市場が広がっていくのはこれからだ”とおっしゃっていてまさにそういう状況になっている。予言者のように先見性のある人なんです」
小長井「少女マンガの人気は戦後の女性の地位の向上と関わりがある。経済がよくなれば女性の小遣いも増える。戦前は女学校に行く人も限られていたし、田舎では本を手に取る人も少なかった」
■マンガ出版の仕組み
小長井「日本のマンガの特色は描き手から造り手に至るまでいろんなルートがあるということ。
・既成漫画家のアシスタント、弟子
・マンガの専門学校、マンガ学部
・同人誌・コミケ
昔だったらアシとか弟子とかしかなかったが、有名な例では「のらくろ」の田河水泡さんの弟子が「サザエさん」の長谷川町子だとか。
海外はもっとドライなシステム。読み手が漫画家になるという部分が日本のマンガの発展した一つの要素だろう。電子書籍は今後どうなるかは自分にはよく分からないが、若い人が出て面白いマンガを造って行ってほしい。
■美内さんのデビュー時代(新人を育てる)
美内「デビュー前子供の頃は貸本でよくマンガを読んでいた。水木しげるさんの「ゲゲゲの鬼太郎」の前身「墓場の鬼太郎」とかもあった」
*注*ここでしばらく小長井氏からマンガ史に関わる説明がありました*
「おもしろブック」(絵物語が中心)→「少年ジャンプ」
「少女ブック」→「りぼん」
月刊誌は男女合わせて何百万と売れていた。戦後の復興間もない時期にこれだけ売れたのはスゴイことだった。
それだけ要望があり、本を読む力があった。
しかし一方で学校では悪書追放の動きがあり、校庭でマンガが燃やされる焚書なども行われた。
美内「マンガを読むとバカになると言われた。私は持って行かなかったが持って行くと燃やされた。手塚先生の『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』まで。それは中身を読みもせず、イメージだけで悪いと決めつけていた」
小長井「マンガの存在が悪いと決めつける動きは戦中からあった。マンガに対する虐待は間欠泉のように何度も何度も出てくる」
*注*この辺の話は、先日の水野英子先生と萩尾先生の対談にも出てきましたが、当時の読み手にとっても描き手にとっても悪夢のような話だったのでしょう。でも現在もまた同じような虐待は常に出てきますね;*
小長井「別冊マーガレット」を任された頃、人気のある大御所は週刊誌に持って行かれていたのでなんとか新人を発掘する必要があった。そこでマンガスクールを開始して新人の育成を始めた。
これは少年誌も含めて別マが一番最初。開始直後ではないが鈴木光明先生が主力になってくれた。
(といっても名前をお借りしておいて応募作を主に読むのは自分だった、と裏話がw美内先生が入賞した第7回の頃は鈴木先生ではなくわたなべ先生だったそうです。)*注*同じ会場で話を聴かれていた笹生那美様より、この受取り方ではニュアンスが違うのではないかと言うコメントを頂いております。鈴木先生のところに応募作品は送られており審査はきちんとされていたということです。詳しくはコメント欄をお読みください!!私の「裏話」という書き方では鈴木先生が審査されてないかのように読めますがそういう意味ではなかったことをお詫び申し上げます。それについてもコメントのやりとりをお読み頂ければ幸いです。2012年5月11日追記)
このスクールで主眼としたのは一回入賞すれば終わりというのではなく、ずっとマンガを描き続けることが出来るかどうかということ。絵が上手いという天性のモノの他にプラスアルファが必要。まずは話が作れるということ。プロとしてやっていける人を育てるということ。
美内さんのデビュー作(「山の月とこだぬきと」)を読んだ時、話が面白いと思った、絵はふつう(笑)」
小長井「それで家まで行った。忠津陽子さん、成田美名子さんの時も飛んで行った。親を説得する、ともかく描いて送ってくれと頼む。美内さんはこの頃からともかく原稿が遅かった。納得するまで考えるから遅い」
*注*美内先生の原稿が遅い、という話は対談中に本当に何度も何度も出てきましたw多分毎回印刷所に持って行くまでやきもきされたんでしょうねー)*
美内「まず16Pで何か描いてということでプロットを書いて送る、OKが出たらネーム、それでOKが出たら描き始める、というのを真面目にやってたんですけど、そこに時間かかるんですね(笑)」
小長井「新人さんは16Pを嫌がるんですよ、入りきらないと。でも30Pあげると破たんする。まずは16Pでまとめることで鍛える。木原さんなんかもそうした。」
*注*ここで私が思い出していたのは少し前に某編集さんがtwitterで呟いて大騒ぎになっていた「読み切りって意味があるの?」という呟きです。私はその関連はもうメンドクサイと思って読むのも止めましたが、そういう編集さんに小長井氏の著書を読め!と言いたいw
美内さんはガラかめの連載開始の前に読み切り70本描いてるそうです!!これだけ読み切りをまとめる力があったからこそ35年も不動の人気を誇る連載が続けられているのです。*
小長井「予告を打つようになると自然と締切が早くなる(予告用に考えるのが早くなるから)これは良い手だと思った」
「新人の人は原稿を会社に持ってくる、かつ丼奢ったりして食べながら話をする」
「河あきらが読み切りで百人一首の話を描いてる。(*注*当時の別マの表紙がスクリーンに資料で出ていました)
今描いてる人いますよね(*注*「ちはやふる」末次由紀)、もうこの頃にあった(笑)先を行ってる」
*この辺りで小長井氏が白泉社の社長になった時に美内先生が編集して漫画家さんからお祝いメッセージのイラストコメントを集めた本が出された時の話が出ました。画面には本の中から美内先生が描いた一頁が。
この本のタイトルにある「ムムム」というのは小長井氏が原稿を読む時の表情からだったそう。
むむむ、、、と困りながら迷いながら読まれるらしい。
小長井「むむむ、といえば、三原順さんの作品、これは本当に悩んだ。話は難しい、でも絵は可愛い。ええいやってしまえ、と連載にした。「はみだしっ子」はしかし人気作になった。
その後三原さんは今から30年前にして当時のスリーマイル島のことなどから既に原発問題を扱った作品を描かれていた。(*注*『Die Energie 5.2☆11.8』『X Day』詳細はこちらを参照のことhttp://togetter.com/li/113180)
難しいマンガだが、今読んでも十分に足る作品、残念ながら三原さんは既に亡くなられているが本当に惜しい才能を失った」
*注*三原順さんに関係する話としては、会場に小長井氏が三原先生が片面に小長井氏の似顔絵を、いまいかおるさんが片面にイラストを描かれた団扇を持ってきてくださっていました。なんと会場にその団扇とマンガスクールの応募者へ贈られたというマンガ描き用のスケールが入った透明な下敷きと両方回覧させて下さったのでした!直に三原先生のイラスト入りグッズが拝めてホントに有難かったです!)*
小長井「美内さんはデビューして1年目、高3の時に既にカンヅメ旅館を体験した。大物。あれは初めての30Pで、のちの「ガラスの仮面」の原型になった「ナオは光の中で」という作品。演劇をやる少女の話。」
小長井「美内さんのお母さんはいつも年賀状を下さっていて、それには”いつも娘が原稿遅くなってすみません”と書かれていた(笑)」
*注*ここでしばしカンヅメ旅館の話。いわゆる修羅場の様子が目に浮かぶようでしたw*
美内「表参道の花のやかたビル(?)というところでカルチャーセンターみたいにマンガの描き方教室をやったんですよ。鈴木光明先生(『少女マンガ入門』の著者)が講師。酒井美羽さんとかここからデビューした。
小長井「白泉社が出来て新雑誌を起こした時もマンガスクールは一号から始めた。
昔は既に人気の出ている漫画家の争奪戦、有名になった漫画家をとってくるというのが主流だったが、徐々に少年誌「ジャンプ」なども新人をいかに育てるかという方向になって行った。
■「ガラスの仮面」が生まれた背景
小長井「編集者として新しい雑誌、新しいマンガをやってみたいと思った。新雑誌創刊は魅力」
美内「連載開始の打ち合わせを西荻窪の「こけし屋」(*注*著書では「ひさご」と店名が間違っているそうです、訂正がありました)さんで美味しい料理を食べながらやった。」
*注*この辺りの話は著書にも詳しく出ていますので是非読んでみてください!*
将棋の世界を描いた映画「王将」の坂田三吉の話にインスパイアされたとのこと。将棋ではなく最初はお琴でどうかと思ったが絵が動かないしマンガから音は出ないから難しいだろう、演劇ではどうかと言ったのは小長井さん。演劇ならば前に「ナオは光の中で」を描いているし行けるのでは、と膝をはた!と打つ感じだったとのこと。ヒット作が生まれる瞬間ってこういう感じなんですねーー!
美内「演劇についての取材は描くときの足かせになると思ってあえてやらなかった。演劇の入門書を一冊買って、まさに主人公と一緒に演劇を一から勉強するような気持ちで始めた。」
■「ガラスの仮面」の魅力
小長井「美内さんは多彩な脇役を描ける。少女漫画家はイケメンを描くのは上手いが脇役があまり描けない。その点、これだけ脇役を描ける人はほかにはいない。特にアンケートで地味な源造が人気アンケートの上位に入ったりする。」
美内「描いていると一人一人の人生が浮かんでくる。キャラを描けば描くほどその人がどうしてそういう思いを抱くようになったかなどエピソードまで描きたくなる。」
美内「1988年に玉三郎さん演出で舞台化、源造が出てくると客席に受けていた。他にも蜷川さんの舞台化などでも源造が出ると受ける。貧しい暮らしになっても蝶ネクタイしていたりしてシリアスなのにどこかコミカルにもなって真面目にやっても受ける。」
美内「TVドラマ化、アニメ化もされたし、紅天女だけ取り出して能にして頂いたり、蜷川さんが第一部第二部と舞台化もされた。映画化だけされていない。」
小長井「いろいろメディアミックスされているが一番面白いのはやはりマンガ。でも蜷川さんの舞台は面白かった」(*注*2008年第一部 2010年第二部 第三部の予定もあったが昨年の震災影響で・・・・)
・・・・・またしても長くなったので分けます・・・・・
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